店主の本音・プロが訪ねる気になる店:若さあふれる感性で中国料理に新境地

2001.09.03 235号 16面

先輩から受け継ぎ、踏襲した料理の時代から、これを土台に若き料理長が自らの感性を生かした独創性あふれる料理が注目されている。より個性化が求められる時代の波に、一つの挑戦として彼らが何を仕掛けるか大いに期待される。二六歳で中国料理「木蘭」料理長に抜擢された渡辺日出人氏が、同じく三〇代にして注目の店「胡同マンダリン」銀座店の料理長として活躍する沖島伸二氏を訪ね、同じ中国料理界を担う若き料理長としての現実と夢、抱負などを語り合った。

‐‐お二人とも若き料理長として活躍しておられますが、まず先輩の沖島さんはこの店をいつごろからおやりでしょうか。

沖島 四年前からです。その前は新宿、虎ノ門、青山などいろいろな店で働いていました。

渡辺 私はずっと一人のオヤジさん(矢野茂氏)についていました。

沖島 私も最初は一人のオヤジさん(田中清氏)。少し勉強したくてほかのところを歩きましたが。

渡辺 私もそうしたかったが、オヤジさんが独立したので料理長になってしまいました。一昨年の二六歳のときです。

沖島 それはいいチャンス。

普通ならある一定の年齢でないとなれません。二六歳でやれるのは今までまじめにやってきた実績とある程度の実力と思います。

渡辺 最初は数字を合わせるのが大変。仕入れ、原価など苦戦しました。

沖島 みんな通る道です。努力してこれを乗り越えなければそれで終わり。自分が小さいと思い、くじけそうになるが、それは自身のもっていき方次第です。

渡辺 そのほか分からないことがいっぱいあります。

沖島 みんなもいろいろな本を読んだり、人に会ったりして進んでいると思います。それを怠ると数字を合わせることに終わり、料理人としてのグレードが上がっていかなくなります。

‐‐最近、料理長の年齢がだんだん下がっている傾向にありますが。

沖島 フランスでは若い人にいろいろな経験をさせ、彼らの感性を前面に押し出す傾向にあると聞きます。日本もだんだんその傾向があると思いますが。

渡辺 私を起用したのもそういう意図があったのでしょうか。伸びるか伸びないかは本人次第だと言っていましたが。

沖島 完成した人は形が決まってしまう。もちろん古い形も大切ですが、食べに行ったり、いろいろな食材を勉強し、若い感性で表現していく。こうした責任をかぶせるとよい意味のプレッシャーとなり完成されていき、三年もたてば大きく変わります。人間つらいときに伸びていくんですね。

渡辺 大変ですよ(笑)。足を運び味わい学んだこと、例えばイタリアンの盛り付けとか、味のバランスなどを中華風にアレンジできるのもわれわれの世代だからできると思っています。

沖島 脇屋シェフが打ち出した個食盛りの後、フレンチ風中華の波も起きています。フレンチ、イタリアン、和食、そして中華を食べてみると勉強になりますね。

私のところは、客層が若い人、カップル、外人が多いため、北京ダックを看板としています。オープン当初は、一日に七〇~八〇羽出ていました。今は多いときで四〇~五〇羽。三人のダック師がおり、下処理して窯で焼いています。

中国では自然乾燥だが、日本では気候的に不可能なため、大きな扇風機を使ってやっています。

渡辺 うちもやっていますが、点心が主になっているのでそれほど出ません。どんどん流れていけばおいしいのですが、冷蔵庫で寝かしては駄目ですね。

沖島 そのほか女性客が多いため、盛り付けにもソースを洋風に軽く流したり、ヘルシーさを表現するようにしています。またウニなどもまろやかさを出すため生クリームを合わせたり、ソースもバターを隠し味につかうなどの工夫をしていますが。

渡辺 なるほどそんな使い方があるのですね。うちも考えながらやっていますが、なにしろ席数が一八〇席。土・日は満席状態。数をこなしていく、さばくぞという体制です(笑)。

うちの看板メニューは麻婆豆腐。一日四〇~五〇個は出ます。土鍋をガンガンに焼いてお客さんのところに煙が吹き込むくらいにしています。

忙しいとつい鍋をつかんでしまい、時々やけどをする者も出る始末。でもお客さんに喜ばれるんだったら体を張ってもやりますよ(笑)。

沖島 ちょっとしたヒントで面白い看板になるのですね。

渡辺 遊び感覚を忘れないようにしていますが、大きな宴会になると、大皿に盛るなどで新鮮味を演出します。古い中にも新しさを出す。古典回帰でこうした演出が復活していますね。

沖島 四川をはじめ中華の定番だったのですが、私が料理に進んでからは見ることも少なくなりました。コイの唐揚げなど泥臭い料理もなかなかいいものです。

渡辺さんは、若くてチャレンジ精神があって頼もしい。ただ気をつけないとソース、盛り付けなど見せるほうに走りすぎ、食べたら必ずしもおいしくないことになる。

最近、やっぱりコツコツと味を確かめながら出さなくては本当の料理人ではないなと思うようになりました。

渡辺 時代は流れており、取り残されないように国内だけでなく海外の一流料理人のメニューとか本を通して研究しています。

落合シェフ、片岡シェフ、山田シェフなどの動きはとても興味をもっていますが。

‐‐親しみのある安心して食べられる家庭の味を外食に求める傾向がありますが。

渡辺 私は中華料理は家庭では作れない味と思っています。

沖島 いろいろな材料を使うし、火の入れ方も難しい。和食は素材。洋食は時間をかけて煮込んだりするが、中華は食材的に複雑で分からないところがあります。

渡辺 中華料理は今、過渡期に入っているといわれています。イタリアンの二〇〇〇円くらいのところにもっていかれている。

沖島 それは料理だけではないように思います。店の雰囲気とか内装も大きく関与し、例えば中華でもソムリエを置いたバーとか、大胆な発想で展開する時代が来ると思います。

渡辺 私は今二八歳ですが、三五歳くらいで独立したいと思っています。

現在働く店は規模が大きく、マシン状態。ここでの経験から、こじんまりとして気の利いたサービスができる店へのあこがれが強くなりました。

沖島 私も自分ながらの夢をもっていますが、常に夢と希望をもっていないとやる気も持続しません。

すごいと思う人も最初からすごいわけではない。それなりの努力を積み重ねてきています。言葉、話し方なり、表情を見ると分かります。

私の言ったことを前向きにとられたら夢は達成できると思います。お互いに頑張りましょう。

●訪ねる人 渡辺日出人

(わたなべ・ひでと)=中国料理「木蘭」料理長(東京都江東区青海一丁目パレットタウンビーナスフォート2~3F、03・5564・0233)

一九七三年新潟県生まれ。両親が共働きだったため、兄弟二人の夕食作りをするうち料理の楽しさを知る。また海に近いことから素潜り、釣りで捕れた魚や貝の料理を楽しむ。高校時代は野球部で活躍。料理界には矢野茂シェフの湖南料理にひかれ川崎「雪園」に入社。二〇〇〇年、師の矢野シェフが独立と同時にお台場「木蘭」の料理長に抜擢される。「やさしく・あたたかい」をモットーに若き料理長として一八〇席の店舗を仕切る。季節感あふれる「やさしい・食べやすい・おいしい」野菜料理を提供したく、三五歳での独立を目指し、日々研鑽を積む。

●迎える人 沖島伸二氏

(おきしま・しんじ)=中国料理「胡同マンダリン」銀座店料理長(東京都中央区銀座七‐八‐七、03・5537・0508)

一九六四年鹿児島県大島郡生まれ。知人の店で働くうち、自らの進むべき道は料理と決める。日本料理、すし屋へのあこがれもあったが、中華のダイナミックな炎の料理にひかれ新宿「西湖」に入社。ここで人生および料理の師となる田中清氏に出会う。その後「赤坂飯店」などでの修業を経て際コーポレーションに入社。三四歳で「胡同四合坊」の料理長に任じられ、他店とはひと味違った沖島流の新しい中華を展開。若い女性客を主流に外人客などの客層をとらえている。今年7月には「胡同マンダリン」銀座店料理長に就任。今後ますます他店の食べ歩き、新しい食材の探求など精力的に取り組む腹づもり。

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