近代メニューのルーツ(5)ハヤシライス 大阪市・自由軒千日前本店
「ハヤシライス」は、カレーライスに次ぐ日本の洋食の代表的なメニューだ。日本人には長く親しまれてきた洋食だが、その誕生については諸説がある。大阪では「ハイシライス」とも呼ばれている。ハイシライスの元祖といわれる「自由軒」でそのルーツを聞いた。
ハヤシライスの名前の由来は、考案者がハヤシという苗字だったという説と「ハッシュドビーフとライス」がハヤシライスになったという説がある。
考案者の苗字説のなかでは、丸善の創業者早矢仕有的(はやし・ゆうてき)説が有名だ。
早矢仕氏は天保8年(一八三七)、今の岐阜県に生まれた。福沢諭吉に学び、のちに福沢に事業を託され、横浜に現在の「丸善」の原型となる商社を創設した。
早矢仕氏は医者でもあったが、料理をすることも好きだった。家に来る客には、手料理の肉と野菜の混ぜご飯を出してもてなしたという。これが「ハヤシさんのライス」つまりハヤシライスとなったという説である。この説には、福沢諭吉が当時、日本人に肉食を奨励していたという史実が信憑性を与えている。
一方、ハッシュドビーフ説では、大阪でハヤシライスをハイシライスとも呼ぶことが根拠のひとつとされる。
そのハイシライスの元祖といわれるのがカレーライスでも有名な大阪・ミナミ千日前の「自由軒」。かつて作家・織田作之助が通い「虎は死んで皮をのこす、織田作死んでカレーライスをのこす」という名コピーを生んだ老舗である。
創業は自由民権運動が盛んだった明治43年(一九一〇)。岐阜県大垣市から大阪に「自由な空気」を求めて出て来ていた吉田四一氏が、それまでやっていた八百屋を閉めて開業した。店名は「自由民権」にあやかって命名したという。
吉田氏は店を開く時、庶民に敷居が高い洋食を、テーブルマナーを知らなくても気軽に食べられるようにしようと考えた。まさに外食の「自由民権運動」である。
メニューはすべて庶民に手ごろな価格で提供した。
なかでも大人気だったのはカレーライスとハイシライス。どちらも仕上げに当時は貴重品だった生卵をのせてあることと、スープとご飯が混ぜてあるのが特徴だ。
ご飯と混ぜるのは、ジャーのない当時にご飯を冷まさないようにするためと、洋食を食べ慣れない人でも簡単に食べられるようにする工夫だった。
ハイシライスは、ハッシュドビーフにかけるデミグラスソースからヒントを得て、そのソースを基にソースをつくり、ご飯に混ぜたもの。
ハイシライスの名前は「ハッシュドビーフ・プラス・ライス」のイメージから、吉田氏が命名したとされる。今でもこの店では、古くからの常連客がハヤシライスを「ハイライ」と呼んで注文する。
ハイシライスの名前が浸透している大阪では、ハヤシ苗字説は成立しにくいようだ。
◆店主のコメント 自由軒3代目店主 吉田昌博さん
当店の味は創業以来九〇年以上、全く変わっていません。この味は、作家・織田作之助さんにも愛され、小説「夫婦善哉」の主人公の台詞のなかでも紹介されています。これからも引き続き、皆様に親しまれてきた味を守り、提供し続けていくことが末長く皆様にご愛顧いただける道だと考えています。ぜひ一度食べにいらしてください。
◆この食材を愛用しています デルモンテ・トマトケチャップ
自由軒で長年愛用しているのがデルモンテ・トマトケチャップ。真っ赤な完熟トマトを原料に作られたケチャップで、パイナップルビネガーが味の決め手となっている。出来上がった料理にかけても、調理に使っても料理の味をひきたててくれる。
店主の吉田さんは、「味はもちろん。ご飯に合わせたときの色つやがよく、大変おいしそうに見えるところも気にいっています。他の製品に替えることは考えられません」と話す。この店の自家製のスープ同様、名物料理には欠くことのできない調味料だ。
●キッコーマン(株)(東京都港区西新橋二‐一‐一、電話03・5521・5111)
レシピ/(1)フライパンで牛肉と玉ネギをソテーし、そこにスープストックを入れ、ケチャップを加えてよくかき混ぜてからご飯を入れてさらに混ぜる(2)皿に盛り、真ん中に生卵を落とす。
※スープストックは牛スジ肉、鶏がら、トマトピューレなどを丸一日煮込んだもの
◆一口メモ ハヤシライスの由来 東京の洋食店シェフ林さんが考案?
ハヤシライスを考案したのは東京の洋食店のシェフで、名前を林さんという説もあるが、定かではないようだ。
◆店舗メモ
自由軒/所在地=大阪市中央区難波三‐一‐三四、電話06・6631・5564/営業時間=午前11時20分~午後9時20分、月曜定休/席数=三八席/主要メニュー=ハイシライス(六〇〇円)、名物カレー(六〇〇円)、カツカレー(八〇〇円)、ドライカレー(六〇〇円)、海老フライ(七五〇円)、ハンバーグ(七〇〇円)ほか