料理の潮流:ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション総料理長・須賀洋介氏
フランス料理界を代表するシェフ、ジョエル・ロブション氏が日本で初めて挑んだカウンターで楽しめるシンプルフレンチの店「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」。その総料理長に、二五歳の若さで抜擢された須賀洋介氏に、次世代フレンチの展望を語ってもらった。
‐‐ロブション氏との出会いは。
須賀 名古屋の実家のフレンチで働いていましたが、もっと厳しい環境で切磋琢磨したいと考えていました。ちょうどそのころ、フランスの知人に、来日したロブションを紹介していただく機会があったんです。そこですぐ「パリのラボ(研究所)に来なさい」と言われて、三人ぐらいしかいない小さなラボでしたが、そこでVIP用の料理や、料理番組の撮影のアシスタントなどをしていました。
三年目に、このラトリエの総料理長就任の辞令を受けて、正直にはまだラボで勉強したいという気持ちがありましたが、それだけ認めてもらえたのだという自信もありました。ロブションは全く褒めない人ですから(笑)。
‐‐あちらではどんな影響を受けましたか。
須賀 意識を大きく覆されたというよりも、日本もフランスも大事なことは共通していると改めて実感しました。とくにラボでは、仕事に対するモチベーションや自己管理がしっかりしていました。料理以前に、まず料理をするための環境を整えることが大切。
海外など食材が集まりにくいリスキーな場所では、実際の三倍くらいの量を注文するといったリスク管理も徹底しています。業者の持ってきたものの中でも一番良いものを使うという環境でしたから、食材を見る目は養われました。
また、ロブション自身、二八歳のときには大きなホテルの総料理長として、何百人というスタッフを動かしていた。その経験から、人を使って料理を作るということに非常に長けています。
作りたい料理があっても、全員が同じモチベーションなわけではない。カリスマ性もさることながら、そこを真剣さと説得力で高めていく。効率性を高めるために自分のイメージする料理を言葉で指示してスタッフに作らせ、出来上がったものにまた指示を出す。各ポジションのスタッフすべてに目を通し、全体をオーガナイズしていく。
自分ひとりがおいしいものを作ろうと思ったら、カウンターか二〇人くらいの規模が限界。店が大きくなっても「うまい」と言わせるには、スタッフのモチベーションをいかに高め、料理とお客さんに対する愛情、真剣さを持ってもらうか、それがシェフの仕事だということを学びました。
‐‐ほかの一流の料理人と接する機会にも恵まれていましたね。
須賀 料理番組では、僕がいる間だけでも一〇〇人以上の有名なシェフとロブションがコラボレーションをしていました。そこで知り合いになって、店に手伝いに行かせていただいたこともありました。
実感したのは、フランスの料理界では、日本よりビジネスの才能もないと認められないということですね。例えば話をしていても、料理だけでなく、皿や装飾など細かいディテールにもこだわる。
お客さんに喜んでもらうということは、料理だけの自己満足な世界ではなく、トータルな雰囲気づくりができているか。だから絵のセンスやサービスなど、全体も見られないとだめ。料理がおいしいけど、ほかが鈍感というのは格好悪いこと。僕もそうしたことに敏感でいたい。
‐‐日本のラトリエで表現したいことは。
須賀 やはり最終的には、シンプルな料理をやりたいと思っています。素材には敏感で、モードな食材や流行のものを取り入れていきたい。でも旬の玉ネギはソテーしただけでも十分おいしい。それをフランス料理にするために、フランス料理としての技法やエッセンスをシンプルに一つでも取り入れる必要がある。単純なシンプルさだけではだめで、そこが難しいところです。
ここではロブションのスタンダードを抑えつつも、僕らが枠を超えることに対する制約はありません。間違えたときには注意されますが、自由にやらせてくれます。僕もロブションのように、スタッフに「こんなものをやりたいんだけど、どう思う?」と、オープンに聞きながら、彼らが意見を言えば、「じゃ、それ作って」と言う。そうした一人ひとりの個性が表れて、ロブションにも「いいじゃないか」と言ってもらえるような料理ができればと思っています。
‐‐最後にこれからフレンチの課題と思うことを。
須賀 フランス料理というのは、お金の残らない業種です。人も食器も調理器具も、投資しなければならないものが多い。街の小さなレストランの半分以上は、利益が残らないのではないでしょうか。僕はおこがましいですが、そうした文化を変えたいと思っています。
今でもフレンチは次々とオープンしていますが、どこも高い。問題はそこです。おいしくて値ごろ感があれば、お客さまは必ず来てくれる。でも無駄なものを置かない、効率良く仕事をするといったことができている店は少ないのです。僕はどこを節約して、どこにお金をかけるかというバランスを明確に考えた仕事をしていきたい。
また若い料理人も、いまは人手不足と情報過多で、きちんと消化する前に次の店に移ってしまう。そんな薄っぺらな料理人ばかりでは良いレストランにはなり得ません。あたり前のことをきちんとできる厚みのある料理人が、一生懸命お客さまを喜ばそうと気持ちがひとつになったときに、楽しいレストランができる。野球やサッカーと一緒です。そのことを妥協せずにうるさく、スタッフに言い続けていくつもりです。
(文責・阿多笑子)
◆プロフィル
すが・ようすけ=一九七六年11月15日名古屋市でフランス料理店「シェ・コーベ」を営む家庭の三男として誕生。九四年フランスのリヨンカトリック大学に留学。帰国後、ホテル西洋銀座で鎌田昭男氏と稲村省三氏に師事。九七年実家のフランス料理店に帰郷。二〇〇〇年2月パリのジョエル・ロブション氏の料理研究所に入るため渡仏。〇三年4月六本木ヒルズ「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」の総料理長に就任。