アメリカの食育 深刻化する肥満問題 トランス脂肪酸問題も浮上
3人に2人のアメリカ人が標準体重オーバーという現在、食に関する関心はいつになく高まっている。一連の訴訟のあと、ファストフード店では、一斉にメニューアイテムの成分を表示して情報を公開し始め、サラダやヨーグルトなどヘルシーな選択肢も提供するようになった。カロリーや脂肪だけでなく、最近浮上してきた問題が、心臓血管に有害とされるトランス脂肪酸だ。アメリカでは、総脂肪分、飽和脂肪酸、コレステロールなど脂質の表示義務があるが、来年1月からはトランス脂肪酸の表示も義務付けられている。特にトランス脂肪酸訴訟が持ち上がってからは、一般消費者への認知度も高まり、市場から追放されそうなほどの勢いだ。マクドナルドに対し、トランス脂肪酸訴訟を起こしたカリフォルニア州の町ティビュロンは、トランス脂肪酸フリーを目指す町として知られている。オーガニック市場は拡大し続け、ダイエット商品も氾濫(はんらん)、成人の53%がサプリメントを取っている。しかし、その一方で、けばけばしい原色で着色した飲料や菓子類が出回っているし、ほとんどの食品には賞味期限が記されていない。牛海綿状脳症(BSE)発生後も、牛肉の消費に変化はなく、ほとんどのアメリカ人は平然と牛肉を食べ続けた。アメリカ人の健康意識、そして食に関する教育は実のところ、一体どうなっているのだろう。(外海君子)
◆肥満の負担コスト750ドル、食品業も情報発信に意欲
アメリカで肥満関連の要因で亡くなる人は毎年30万人に及び、肥満による政府の負担コストは年間750億ドルに上る。政府は、肥満対策を国家プロジェクトに挙げ、2010年までに成人の肥満率を15%に下げる目標を掲げているが、問題は一向に沈静化する気配は見られない。確かに、一般市民の健康に対する関心や知識は深まったが、実際のところは、健康に大きくかかわる食生活に気遣う人は気遣うが、無頓着な人は無頓着、と落差が大きいようだ。
全米レストラン協会は、食習慣によって消費者を4つのグループに分けている。第1のグループは、新しい食べ物に挑戦し、よく外食をする「冒険好き」タイプ(25%)。第2は、食生活に気を配る「健康志向」タイプ(23%)。第3は、食べることを楽しみ、体にいいかどうかはあまり考えない「無頓着」タイプ(23%)。そして、第4は、伝統的な料理であるコンフォート・フードの好きな、あまり実験的でない「保守的」タイプ(29%)だ。この数字から見る限り、健康に留意し、意識して食事している人は4人に1人ということになる。
ベーコンやソーセージと卵、バターを塗ったトースト、牛乳という典型的なアメリカン・ブレックファストを取ると、それだけで1日の総脂肪重量の許容量を超えてしまう。健康に大きくかかわる食に関する知識は欠かせない。
5年ごとにアメリカ政府は、食生活に関する指針を発行しているが、今年1月に5年ぶりに発行された指針では、適度な運動とバランスのいい食事をすすめ、飽和脂肪酸、トランス脂肪酸、コレステロール、砂糖、食塩、アルコールを控え、摂取する穀物類の少なくとも半分は全粒のものにするよう指導している。また、民族的な背景やベジタリアンなどの食嗜好(しこう)を、教育プログラムや資料開発の際に組み込むことも新しくすすめている。
この指針を基に作成された最新版のフード・ピラミッド(1日に取るべき食品グループをピラミッドの形で表した図)は、これまでのものとは異なって、個々のケースに柔軟に対応できるよう縦割りになり、食品をオレンジ(穀物)、緑(野菜)、赤(果物)、黄色(油脂)、青(乳製品)、紫(肉と豆)というグループに分けて、それぞれに関し、具体的なアドバイスをしている。
要は、脂肪とカロリー、塩分を控え、繊維を多く取り、適度な運動をせよ、ということだ。
食生活の改善に向けた啓蒙(けいもう)活動は、農業省、保健福祉省を中心に、行政のあらゆる面から積極的に行われている。たとえば、低所得層になるほど肥満がより多く見られることから、フードスタンプ受給者に向けた栄養指導のサービスが始められた。
◆官民一致で広報活動を展開 健康的な食生活に責任負う
食に関する啓蒙活動は民間でも進められ、外食産業を含むあらゆる食品産業界が情報を発信している。全米レストラン協会は、今年5月、メニューの食品情報を消費者に提供するために開発された「アスク・アス!」というプログラムを開始した。個々の会社をとってみても、ファストフードチェーンのサブウェイや、大豆タンパクメーカーのヌーニュートリ・ソイは、アメリカ心臓学会と共同で、「ハートウォーク」というウォーキング大会を主催している。
また、生鮮果実や野菜の生産販売会社ドールは、農務省、疾病対策予防センター、国立がん研究所などと共同で「ファイブ・ア・デー」プログラムを推進し、1日に5から9サービングの果物と野菜を取るように促している。
一方、マクドナルドは、最近のトランス脂肪酸訴訟で敗訴し、全米心臓協会に700万ドル、トランス脂肪酸の広報活動に150万ドルを投じることを命じられた。
食品産業は、消費者の健康的な食生活の責任を負うと位置付けされ、食育に関する重要な情報源となっている。また、これは消費者の信頼を得るための広報活動にもなっている。
一般市民がどれだけ受け入れ、実践しているかはともかく、食に関する情報だけは、官民双方から大量に流れている。
◆子どもの肥満 学校給食も脂質削減
アメリカの肥満問題は子どもの間にも広がり、今や3人に1人の子どもが標準体重を上回り、6人に1人の子どもが肥満だという。子どもの肥満が指摘され、脂質の多い学校給食が問題になってからは、かなりの改善が見られるようになった。最近は、すしやベジバーガー(大豆のハンバーガー)、より多くの野菜や果物が給食のメニューに加わるようになった。進歩的なニューヨーク市では、パンやピザのクラストは、ホールウィート(全粒)のものを使い、ポテトフライも揚げるのでなく、オーブンで焼いている。また、地域の民族的な背景を考慮したレシピも用意している。
給食事業の連邦予算規模は、2003年度で71億ドル。実は、連邦レベルで給食事業を担当するのは農務省だ。農務省は給食に補助金を出しているほか、1食につき約17セント分の現物支給も行っている。また、余剰農産物が出たときは、特別の現物支給も行い、農産物の価格調整を図っている。
農務省は、「食生活の指針」に基づいて「イートスマート・プレイハード」(賢く食べて思い切り遊ぼう)キャンペーンを展開して、子どもたちの栄養の知識を深めたり、「ティーム・ニュートリシアン」というプログラム下、給食サービスのスタッフに対する技術的な支援や、子どもと親に対する食育を推進したりしている。
朝食抜きの子どもが多いことから、今では、アメリカのほとんどの学校が朝食も提供している。間食や夕食を出す学校もある。ニューヨーク市では、朝食はすべて無料だ。
一見、充実した給食プログラムのように見えるが、実際は必須(ひっす)でないことから、約4割の子どもたちは給食制度を利用せず、親が作ったランチを食べたり、ファストフードですませたりしている。また、給食制度を利用していても、好きなものを選択するシステムになっているので、子どもたちが偏った選択をしている場合も多い。
制度だけが充実しても、最終的には生徒自身の自覚にゆだねられていることから、食に関する正しい知識が必要なのだが、実際は確立された食育カリキュラムがないのが現状だ。学校によって、食育を行うのは、保健、科学、健康プログラム、家庭科など科目が異なり、内容にもばらつきがある。教材も、教師が独自に作っていることがほとんどだ。教室での食育の必要性が指摘されていながら、現状はあまりうまくいっていないため、教育省は、適当な教材を用意し、学科や学年にわたってコーディネートされた食育の必要性を唱えている。
現在のところ、学校での食育に貢献しているのは、民間の会社や団体だ。たとえば、デイリーカウンシル(酪農会議)は、楽しく学べる子ども向けの教材や情報を学校の先生に提供し、重宝されている。教育省の調査によると、9割未満の学校が、食育の教材や資料は、業界団体や食品会社から配布されたものを使っていると答えている。
アメリカの食育は、消費者の健康を担うことを期待された食品業界が積極的にかかわり、大きな役割を果たしている。
◆教育現場で独創的な食育
全米各地の小学校を回って、健康な食生活を説いているジェラード・フォーグルさん。1988年3月半ばにダイエットを始めたとき、当時大学生だったフォーグルさんは、身長185cmで、193kgの体重があった。アパート近くにサブマリン・サンドイッチのチェーン店サブウェイがあったことから、自発的に朝はコーヒー、昼はサブウェイでマヨネーズなし、チーズなしの七面鳥のサブサンド、夜はマヨネーズなし、チーズなしの野菜のサブサンドを毎日食べ続けた結果、1年とたたないうちに107kg(週平均2kg)の減量に成功し、86kgの標準体重になった。
以来、フォーグルさんは、サブウェイの広告塔として、全米各地の学校を回り、これまでに5万人の子どもたちに、自らの子ども時代の誤った生活態度を語り、野菜や果物を積極的に食べ、運動して、体によい生活を送るように教えている。また、サブウェイはアメリカ心臓協会と共同で「ジャンプロープ・フォア・ハート」という小学生のなわとびプログラムも支援している。
子ども向け教育番組の「セサミストリート」も、子どもたちに栄養と運動の大切さを教え始めた。ナスやニンジンなどのキャラクターも登場し、クッキーばかり食べていたクッキーモンスターも、今や食生活を変え、「クッキーは、いつもでなくて、時々食べるもの」と子どもたちに教えている。
アメリカの学校現場での食教育は、かなり独創的だ。子どもたちに楽しみながら学んでもらうということに主眼が置かれている。学校での給食もそうだ。しつけよりも、まずは子どもたちに喜んでもらうことに力が注がれている。
ニューヨーク市は、民間のマネジメント会社にいたバーコウィッツ氏を給食部長に起用してから、シェフを登用し、メニューと盛り付けを改善し、給食制度を大きく変えた。
「アメリカ人には政府の支給するものはよくないという考えがあるんです。そのスティグマを払拭(ふっしょく)するために、学校給食をレストランのように仕立て上げ、生徒に給食利用を働きかけています」とマーケティング部長のディスクラファニさんは言う。サラダ・バーを設置、パンやピザのクラストはホールウィート(全粒)のものに切り替え、毎日86万食分の食材を買い入れる立場の強みから、メーカーに脂身の少ない肉を供給するように働きかけたりして、給食の質を上げている。
また、市当局は、給食制度をもっと利用してもらうため、さまざまなキャンペーンを行っている。たとえば、シリアルメーカーのケロッグがスポンサーになって、朝食の給食を食べれば、自転車などの景品が当たるというキャンペーンを行ったりしている。