ああ無念!私の閉店物語:主婦の思いつき痛い目に

2000.06.05 205号 20面

開店三日目で閉店した店がある。われわれの経験からも、そんな閉店話は聞いたことがない。しかし事実である。いろいろ差し障りがあるので、今回も仮名とさせていただいた。その店の所在地は、横浜市西区中央本町。横浜駅から各駅停車で一つ目の、「戸部」という駅から五分くらい行った静かな商店街にこの店「紅屋」はある。

経営者はヨーさんという中国出身の中年婦人。ヨーさんは、中国福建省出身で今年四八歳。一三年前に中国残留孤児の子供として来日帰国し、日本で働いてきた。

ヨーさんには、現在六三歳の夫がいる。彼とは、ヨーさんが横浜・関内のチャィナ・パブで働いていた時に知り合い、しばらく御主人が通い詰め結婚に至ったという経緯がある。

その御主人は、横浜でビル(一〇階建)の経営をしている。実家は、代々横浜港で倉庫業を営んでいた会社。「MM21‐みなとみらい21」の敷地に隣接しており、テナントに不自由するようなことはないらしい。

御主人はバブル崩壊で、株と土地で大やけどをした。だからもう、新しいことに手を出すのは懲り懲りだという。このビルの賃貸料だけでも、今は十分にやっていける。これからは、しっかりこのビルを管理していこうというのが御主人の考えである。だから会社といっても、事務員が二人いるだけのこじんまりしたものである。

さて今回の閉店劇だが、「お店をやりたい!」と言い出したのは奥さんのヨーさんである。結婚してから、ずーっと家庭の中にいて家事をこなしてきた。そんな時、時々思い出すのはご主人と知り合った関内のチャィナ・パブ。小さな店だったけれどよくはやっていた。

あの店が懐かしい。毎日家事ばかりではつまらない。それに私ももうすぐ五〇歳…。そうなったらお店をやるなんてできないに違いない。もう一度、あんなお店を自分の手でやりたい…。

思い余ってある日、ご主人にこの話をしてみた。当然ご主人は大反対。それでも、何度も何度も店の話を持ち出すヨーさん。ついにご主人も根負けして、以下の条件付きで賛成してくれた。

その条件とは、

(1)自宅の近くで、歩いて通える範囲内で店舗を借りること(2)店舗投資が大変だから、設備・内装付きの居抜き店舗を借りること(3)今の食事は、洋食が主力だから洋食中心のメニューにすること(4)売上げを上げるために、昼は洋食レストラン、夜は洋風パブで営業すること(5)物件は二〇坪以内で、家族や友人だけでもやっていけるようにすること

以上五つの条件である。

ご主人の許可が出て、ヨーさんは大喜び。次の日から、この条件に見合った物件探しが始まった。不動産会社の営業マンから連絡があり、条件に見合う物件が見つかったという知らせが来た。それが昨年の11月中旬。近くなのでご主人も見に行き気に入ってくれた。そして一週間後に、店舗の賃貸契約が成立したのである。

筆者が、知人からの依頼で店を訪問したのは11月下旬。その店は小さな喫茶店という感じの真っ白い内装であった。ヨーさんの計画を聞きながら、大きなギャップを感じた。

まず店の存在が最初のスタートになっている点である。居抜きで買った洋食の設備だから、自分は中華が得意なのに洋食をやる。ランチをやりたいというが、近所のどういう人がどういうお昼ご飯を食べているか、どういうメニューを望んでいるかも調べていない。

夜の営業もただ「カラオケ・スナック」だけではもうお客は呼べない。計画も見込みも立てずに、主婦の思いつきの範囲で店を始めたらえらいことになる。「店がこうだから、こうしよう」というのは本末転倒である。「客がこれを望んでいるからそうしよう!」というのが正しい考えなのだ。

「この開店、もう一ヵ月待ってよく勉強し、慎重に計画されてはどうですか!」と話したが、洋食は主人の条件だから、ランチは家庭料理を出せばいい、夜は中国女性を入れて接待すれば何とかなるとヨーさんは聞く耳を持たない。

何しろお金がかかっている。すぐにでも開店したいというのである。説得をあきらめ引き上げることにした。そして12月1日に開店。資金をかけられないので、看板だけ取り換えただけのオープン。店名は「紅屋」。

そして初日の客数七人。二日目三人。三日目ついにゼロ。この三日間で営業の見通しがたたなくなりそのまま閉店。この店は、現在貸し店舗となって不動産屋の店頭に掲示されている。

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