シェフと60分:フランス菓子銀座レカンシェフ・毛利進氏

1994.07.04 55号 9面

「クリエイティブな仕掛人」といわれる毛利さんは「宇宙食の定番であるカレーとシーフード料理から入ったのは手頃だから。マスから認知度を高めていかなくてはいけない」と語る。宇宙食も街のレストランも「手頃なものから認知してもらって、ズバッと切り込む」毛利流MD戦略に変わりはない。

4月に日本人として初めて米国NASAの宇宙食レシピにビーフカレーとシーフードクリームソースが登録された。レストランのシェフがなぜ宇宙食なのかという素朴な疑問には「切り口を変えて戦わなくては生き残れない」とあくまで日常の延長に位置づける。

NASAの宇宙食には過去、日本の大手食品メーカー数社が多額の開発費をつぎ込み、総力を挙げて取り組んだが失敗した経緯がある。最近では7月8日に日本女性として初めて宇宙に出発する向井千秋さんのための和食として某食品大手メーカー、マスコミ二社の協力でメニューを一般公募するなど話題を提供した。

このように宇宙へのチャレンジには力が入るが、「二品の開発は構想から完成まで二~三週間でした」。動機も「NASAの特殊の移管と特殊商品を日本に紹介斡旋しているスペイス・エイジ・ジャパンの山梨善弘社長と知り合いになり、メニュー提案してみないかと‐‐」とあっさりしたもの。逆に肩に力が入らなかったのが功を奏したようである。

しかし、「レストラン業の目的は利益を出すこと。シェフもマーチャンダイジング(MD)ができないといけない」として、日頃からシェフと営業の最前線に立つ毛利さんは宇宙食に関しても徹底的にMDを行った。そこで「栄養学的視点」「インターナショナル」「旨い」の三つの切り口に絞った。

栄養学的視点では、運動不足などからカルシウム、カリウム、ベーターカロチンなどの不足を補うため、栄養が補強されている乳児用粉ミルクをカレーのクリームの代用にした。飛行士は米国を始め多国籍なので全世界の人が食べられる味とし、カレーのコメはカリフォルニア米一〇〇%を使用。最後の「旨い」は料理のプロとして宇宙食イコール味気ないを払拭したいと特に力を入れた。保存形態はフリーズドライ、レトルト、冷凍の三種類ある中から味を一番保持できる冷凍にした。製造するのはアメリカなので現地で食材が調達できる素材のみを使用している。

宇宙食に取り組むうちに、宇宙の持つ環境問題、人間の尊厳さに引かれてしまい、「自分がしなくてはいけないこと、使命が見えてきた」と言う。

「宇宙での衣食住の食に貢献するだけでなく、普及にも貢献したい。最近は向井さんの出発で、何かと宇宙の話題が多くなっているが、日本人はお金を出して日本人を宇宙に出発させればそれで良いと思う風潮が世間一般にあることも確か。しかし、国民一人ひとりが世界のシンクタンクである宇宙開発に関心を持ち、寄与できないものかと望む声も多い。

「NASAの宇宙食レシピに登録されると版権はNASAになる。メニューを商品化して販売すると売上げに応じてNASAに対して寄金を送る仕組みになっている」と山梨社長は説明する。宇宙食は災害用のサバイバルフードやアウトドア食品として一般に広く普及し始めており、二一世紀の注目食品となっている。料理を通じて宇宙と一般市民の掛け橋の役割を担うためにも、全世界に支持される、売れる、旨い宇宙食作りが毛利さんの最大のテーマだ。

後日談であるが、山梨社長が「企業の力を結集して四回トライしてダメだったので、まさかパスするとは思わなかった」と語るほど、毛利さんの一度目のトライに期待していなかった。それほど、審査や検査がむずかしい。毛利さんも「運もチャンスもあった」として「それをつかんだら努力する」と早くも次のトライに夢を拡げる。

銀座三丁目のフランス菓子銀座レカン前には、三年前から晴れた日の夕刻5時に限定販売される五〇〇円タルトに決まって行列ができる。味と価格もさることながら、場所と時間と個数を限定した販売アイデアが当たった。行列の中から店の常連が育ち、ギフト客に繋がり、ひいてはレストランの客となっている。

毛利さんは「自己満足商品ではなく売れる商品でないとダメ」とシェフのおごった自己満足を嫌う。本当に良い商品・料理は売れる。売れる商品・料理はMDをしないと作れないという論法だ。「感性(腕)と理性(MD)の間に技あり」を旨とする。

ただ、宇宙にかかわって物の見方が変わったという。「料理一つにしても環境、文化、国土、歴史など、一アイテムでも多く研究することが勝つ手段」と、物事をより広い視点で捉えるようになった。

「食をMDから捉える。そういうシェフが一人いてもいいんじゃないの」と笑う。厳しい業界の生き残り戦を楽しんでいるようである。宇宙食に携わっても、レストランとフランス菓子のシェフとして、営業企画部長としての二足のワラジを履く毛利さんの日常に変化はない。休日返上でお中元対策に奔走する昨今である。

文   福島 厚子

カメラ 岡安 秀一

昭和23年生まれ。20歳からこの業界に入る。松木修司氏にフランス語教育を8年間受ける。ドイツ人のMr.ミラー氏に師事し、同氏の紹介で(株)セーキに入社。56年10月からレストラン銀座レカン本店に勤める。料理長と営業企画部長を兼務し、現在はフランス菓子銀座レカンのケーキの普及に力を入れている。

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