神楽坂商店街 広東料理「龍公亭飯店」 創業100年、父から娘へ
《龍公亭飯店 広東料理 》 外堀通りの坂下から神楽坂を登り切る手前の左手に位置している。明治中期からの創業で、すでに一〇〇年近くの歴史を刻む。
創業時は、すし屋だったが、大正時代にコレラが流行してナマもの離れが起こったので、熱を使う中華料理に営業替えした。大正13年のことである。日本の植民地時代のことでもあったので、料理人は中国から本場のウデ効きを連れてきた。
「当時は支那料理といっていましたが、東京でも先駆けの中国レストランではなかったかと思います。料理は本場のプロが作る味ですから、それはもう大変に評判になりまして、店は行列するほどの連日連夜の大入りでした。特に、当時の神楽坂は芸者さんと粋な旦那衆の遊びの場でもありましたので、そういった方々もたくさんお見えになりました。いまはもう神楽坂も、この店もそういった賑わいはありませんけど、でも昔からごひいきにしてくださるお客様もまだ多いんです」と語るのは二代目オーナーの飯田公栄さん(八二歳)。
店は娘さんの公子さんに任せてしまっているが、それでも公栄さんは店には毎日出て、レジの番をするのが日課となっている。
「私が店に出ていないと、古い馴染みの客などが寂しいというので、店はもう娘に任せ切りなんですが、ただ置物みたいにレジの横で座わっているだけなんです」(公栄さん)。
中国料理に対するこだわりと考え方はいまも変わらない。いい材料を使って安く提供する。それで客が喜んでくれれば大満足と、商売気は見当たらない。八二歳とはいえ、まだかくしゃくとしている。
公子さんもそれを受け継いだ形で、材料の質の追求と味づくりのこだわりにはウルサく妥協を許さない。
「質のよい食材を使わないと、どんなウデのよい料理人がいてもおいしいものは作れません。もちろん、コストの問題もありますけれど、それは仕入れの努力でカバーしています」と公子さん。料理人はキャリア三〇年のプロが三人いる。この店で育った人達で、のれん分けも八店舗。
材料の仕入れについては、安いときに買い込むが、必要以上のストックはしない。材料はイキのいいうちに使い切ってしまう。仕入れ先については常に物色しており、どこにでも出かけていく。
一級品であれば条件をみて仕入れる。フカヒレとクラゲはそういった努力で、確保した材料で、店自慢のおすすめ料理としている。
食材コストは二五%でコントロールしているが、料理によっては三〇%を超えるものもある。
主力のディナーメニューは小卓(二、三名‐、八五〇〇円)、中卓(四、五名‐一万五〇〇〇円)、大卓(六、七名‐二万五〇〇〇円)のコース料理だが、単品メニューとして、牛肉御飯一四〇〇円、天津飯一四〇〇円、わんたんセット一一〇〇円、広東めん九〇〇円、五目チャーハン一二〇〇円など。このほかに、日替りでサラダ・スープ・デザート付きの中華ランチ一二〇〇円もラインアップ。
店は一、二階合せて約八〇席。客層は昼サラリーマンやOL、夜はファミリー客や店周辺の料亭関係者が増える。平均日商五、六〇万円。