「ハンバーガー」 モスバーガー、「テリヤキバーガー」を武器 日本の味覚にこだわる
マクドナルドをトップに大小二〇数社のハンバーガーチェーンが林立する中で、モスバーガーは常に独自の生き方、オリジナリティを追求しており、業界でも大きく注目される存在にある。
モスバーガーといえば、例のしょう油味の和風ハンバーガー「テリヤキバーガー」(二九〇円)をイメージするが、創業時からこの“民族の味”の看板商品を武器にして、堅実にチェーン(FC)展開を進め、「街角のハンバーガーショップ」として地域消費者に大きく支持されてきている。
創業二〇年。昭和四七年6月、東武東上線成増に僅か三坪ほどの小さな店を出店した。店の主は現代表取締役会長の桜田慧、同社長の渡邊和男、そして、アメリカで急死した故専務取締役の吉野裕氏の若き三人であった。明けても暮れてもハンバーガー売り、脂と汗にまみれて三人は体が棒になるまで働いた。
パティもバーンズも客がきてから焼き、調理した。時間はかかるが作り溜めはしない。一つ一つ手づくりのハンバーガー。効率よりもおいしさの追求と、客へのハート(ホリピタリティ)を尊重した。
やがて客が列を成し、クチコミで店の評判が伝わっていった。四八年から四九年にかけて直営二店舗を出店した。やはり、一〇坪にも満たない小さな店で、立地は出店コストに負担をかけないほとんどが二等地、三等地という場所であった。しかし、その場所でのベストロケーションであった。売上げは順調に推移した。
マクドナルドが四六年7月、東京の真中、銀座三越一階に、日本上陸第一号店をオープンし、その後、一等地ロケーションで、華々しく東京の主要都市(街)での出店をはじめ、全国に向けてチェーン化を開始したころであったので、モスバーガーは全くの無名で小さな存在であった。
直営二店舗の出店に前後して、昭和四八年11月、第二次石油ショックのころであったが、名古屋市新瑞にフランチャイズ一号店をオープンした。
昭和五一年10月には沖縄コザ市に五〇店舗を出店。モスの経営理念とFCオーナーのすぐれた経営姿勢に恵まれ、五四年1月一〇〇店舗(小豆島店)、五八年8月二〇〇店舗(沖縄普天間店)、六〇年6月三〇〇店舗(福岡・飯塚店)、六一年5月四〇〇店舗(山形・桜田店)とハイテンポでFC展開が進み、平成三年3月江古田旭丘店(東京)で一〇〇〇店舗を達成した。
前述の日経九一年度売上高ランキング上位二〇〇社のデータによると、モスバーガーの店舗数は直営五五店、FC一〇四八店の計一一〇三店、売上高(九一年度3月決算)は九〇二億円で、ランキング一〇位に位置している。
売上げにおいてはマクドナルドの約半分でしかないが、店舗数においては、マクドナルド(八六五店)をはるかに抜き、ハンバーガー業界ではトップにおどり出ている。
昭和六三年3月には東証二部上場も果しており、最早、「街角のハンバーガーショップ」とはいえないビッグチェーンになってしまっている。
目立たない街角の小さなハンバーガーショップが、二〇年後に店舗数が一〇〇〇店を突破し、年間売上げが一〇〇〇億円に迫まる。“ジャパニーズドリーム”の実現である。
モスバーガー成長のヒミツを検証してみると、創業の精神として効率、システムの追求ではなく、味づくりへのこだわりを第一にし、第二に自己の体質、体力に合せて、投資コストのかからない二等地、三等地への出店を具体化していったことが、大きなファクターとして指摘することができる。
前者においては、しょう油味をベースとする日本人の味覚に合った商品を開発したこと。後者においては、出発当初から出店競争に巻き込まれない“無風地帯”でのチェーン展開であったことである。
いわばマクドナルドとは正反対の地味地な道を歩んできたことが、成功の大原動力となったのである。
同業他社チェーンがマクドナルドと熾烈な戦いを強いられているときに、モスバーガーはマイペースで着実にFC化を進め、消費者に支持されていった。
消費者の間ではマクドナルドの「ビッグマック」よりも、モスの「テリヤキバーガー」という声は強い。ビッグマックはスピーディ、ファッショナブルであるが、味(おいしさ)はモスバーガーというニュアンスである。
やはり、日本人の体質にはしょう油味がフィットしているのである。モスの日本人にフィットさせた味づくりへのこだわりは続く。
六二年12月、全店にラインアップした「ライスバーガー」(二八〇円)は、ハンバーガー市場に大きなインパクトを与えた。日本人とコメ。これは普遍的な食生活といえる。ライスバーガーは三〇%増もの売上げ貢献をみせているのである。
炊きたてのごはんをプレート状の焼おにぎり風にして、濃い口しょう油とみりんしょう油で仕上げる。パティは中荒びきの直火焼きのつくね(チキン)。
このあとも「きんぴらライスバーガー」(三〇〇円)「焼肉ライスバーガー」(三三〇円)と続く。モスの日本人の味覚に合せた味づくり、今では他チェーンが大きくヒントを得る要素となっている。