関西版:阪神淡路大震災から・・・空き地も目立つ「菅原市場」の今

1997.08.04 132号 17面

新聞・テレビなどあらゆるマスコミに書きつくされ、見つくされててきた、あの阪神淡路大震災だが、被災地神戸に発生した想像を絶する陰湿な事件がマスコミの最大の関心事となり、ここ数ヵ月は震災関連のニュースは忘れられたような感じすらする。8月は、関西地方は「お盆」を迎える、数多くの犠牲者の冥福を改めて祈る月であり、新たに涙のあふれる日々を迎える。

震災の凄惨さと、力強い復興の姿がたびたび報じられた「菅原市場」のその後がなぜか気になり、再建途上の「菅原市場」に足を向けた。

目を背けたくなるような情景は整備されてはいるものの、周辺は土地区画整理事業案が難航中とあって、いずれもが仮設の店舗であり家屋である。空き地もまだ多く残されており町の様相を取り戻すまでには至っていない。

このような環境のなかで「菅原市場」の人々が暗闇の町に明かりを灯すのが自分たちの使命と語り合い、仮設共同店舗(二二店)で復興の礎を建てたのは、震災後四ヵ月を経過した5月25日、その素早い対応は周辺住民だけではなく多くの被災者の心にも勇気を甦らせた。

あれから三年以上の月日が流れたが、町そのものが“仮設”の状況のままであり、「菅原市場」に活気は戻ってきてはいない。

なにもかも燃え尽きた焼け跡に集い復興を図ろうとするメンバー二二人(被災前三七店)が菅原市場協同組合を設立、理事長に就任し、強烈なリーダーシップを発揮してきたのが、豆腐店を営む清水政夫さん。

「私たち二二店は心を一つにして一日も早く将来展望が開けるよう望んでいるのですが、行政との話し合いの中でエゴをむき出しにするケースも生まれ、土地区画整理の基本的な部分がまとまらず、やきもきしているのが現状です」と語り「もともと高齢者が多く住んでいた町なので、対応が長引くと仮設住宅などへ離散した人たちの、この町に対する愛着が薄れるばかりで本格建築が可能となった時に果たして戻ってきてくれるのか、疑問視せざるを得なくなってきています」と顔を曇らせる。

ボランティアの姿はとっくになく、見学者は今も訪れはするが、生鮮食品が主力の市場だけに売上げに対する寄与は望めない。したがって各店の売上げは、震災前とは比較にならないほど低調だという。

しかし、大惨事に遭遇しながら“生命をとりとめた幸せと喜びをいつまでも心に刻んで生きる”といった姿勢を閑散とした市場を通り抜けながら感じたのは、各店の店頭に掲示されている相田みつをの人生訓が書かれた色紙額の故なのだろうか。

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