低価格時代の外食・飲食店 日本KFC対戦者なく創業以来の独走態勢

1997.07.07 130号 4面

ファストフードといえば、ハンバーガーを筆頭にドーナツ、フライドチキン、牛丼などをイメージすることになるが、この中にあってフライドチキンは「惣菜」(おかず)としての性格にあり、おやつや食事メニューのハンバーガー、ドーナツなどとは同じFF商品にあっても、異なった存在にある。それはともかくとして、フライドチキンの大手チェーン企業は、日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)に代表される。代表されるというのは正確ではない。国内フライドチキン市場においては唯一のナショナルチェーンで、ハンバーガーやドーナツ、牛丼商品のようにコンペティターが存在しない。KFCが日本市場に登場したのは、昭和45年のことだが、これは結果的には日本最初のフライドチキン商品として、ストアー(チェーン)イメージを定着させることになり、現在につながっている。昭和50年前後、KFCに対抗してゴールデンスキリット、チャーチーズなどいくつかのチェーン志向のチキンショップが参入してきたこともあったが、強固なKFCの牙城を崩せないままに敗退してしまっている。KFCの独走体制は今なお続いているということだ。

昭和45年3月、大阪で開催された「日本万国博覧会」に、米国KFCがフライドチキンのパイロットショップを出店した。一日の売上げ二八〇万円。

日本人のほとんどが初めて出合うチキン商品だったが、お祭りムードいっぱいのエクスポとはいえ、ビッグな売上げを記録した。

半年の会期だったが、売上げは好調に推移した。日本市場でもフライドチキンが売れることを大きく証明したのだ。

この結果をみて、万博会期中の同年7月にははやくも三菱商事が米KFCとの折半で、現日本KFCを設立し、日本でのチェーン展開に乗り出すことになった。

そして、同じ年の11月、名古屋・名西に直営一号店を開設、日本市場進出の第一歩を印した。

名古屋での第一号店出店は、名古屋はナゴヤコーチンで代表されるように、チキン(鶏肉)需要の本場であること、郊外道路網が発達しており、アメリカ同様に車客が見込めるとの考えで具体化したもので、初期の出店計画においては名古屋、大阪での郊外立地(SC)での出店に力を入れた。

しかし、この立地戦略は失敗だった。まだ日本は一九七〇年代前半においては、アメリカ並にモータリゼーションは進んでおらず、車での本格的な消費(レジャー、外食)行動はもう少し先に待たなければならなかった。

このころの日本はロードサイド立地においては“ドライブ・イン”と称してラーメンやうどん・そば、定食屋など極めて日本的なレストラン(食堂)形態が支配的だった。

時代の状況、消費環境、日本には日本の市場環境がある。日本KFCは、立地戦略を大きく集客の期待できる市街地と繁華街出店に変更した。

東京・青山、銀座、恵比寿、目黒などでの出店は、この考えを具体化したものだ。この後店舗展開は順調に推移し、七三年(昭和48年)10月には東京・赤坂で一〇〇店舗を達成することになった。

市街地出店は見事に成功したわけだが、現在においてはもちろん、郊外やロードサイド立地ほか、地方都市での出店も一般的なこととなっており、店舗展開は北海道から沖縄まで全国に及んでいる。

売上高一二五九億円、店舗数直営三二四店、FC七二〇店、計一〇四四店。これは一九九六年(平成8年)11月期の実績だ。

売上高一〇〇〇億円台は、外食産業界では一〇社前後しか存在せず、ファストフードでは売上高、出店数ともにダントツのマクドナルドを除けば、モスバーガー、ミスタードーナツなどと激しいデッドヒートを展開する先頭集団に位置する。

しかし、グロスの売上げは大きいが、内実は集客力、収益力がダウンしてきており、フライドチキンの“独占チェーン”でありながら、KFC自体は危機感を抱いている。

「創業以来、ほとんど単独で市場を創造してきておりますから、コンペティターの多いハンバーガー商品などと異なって、緊張感がなく、マンネリ化してきている面も出ているわけです。それと、商品力の低下を含めて店舗の老朽化、立地環境の変化という要因もありまして、店によっては集客力がダウンするというケースもあるのです。こういったことを踏まえまして、店のスクラップやリニューアル、素材の質の向上、新メニュー開発などいろいろと体質改善に取り組んできておりまして、やっとその結果が出始めてきているところです」(広報室長高月一郎氏)

フライドチキンのパイオニア企業として、一号店出店以来の独走体制。ハンバーガー市場のように、競合店が出現してこなかったのが不思議なところだが、しかし、実際にはKFCの出店開始後、昭和50年前後においては、米パイオニア・テイクアウトをはじめ、チャーチーズフライドチキン、ゴールデンスキリット、カンサスフライドチキンなどといった有力チェーンが米国から続々と進出してきていたのだ。

昭和60年代に入ってもエルポヨロコ、エルブラボーといったメキシカンテーストのチキンレストランも登場してきていた。

この中にあって、西武流通資本と提携したチャーチーズ、三井物産と組んだエルポヨロコはノンフライドチキン商品の特性を掲げて市場に参入、大きく注目された。

だが、結果はKFCの牙城に近づくこともなく、五、六店舗を展開したのみで市場から撤退してしまった。

最も有力視された企業が市場から撤退。もちろん、他のチキン商品も市場から消滅してしまっている。

「この商品は他のファストフードと異なって原価率(三八%)が高い商品ですから、そう儲かるビジネスとはいえないのです。その意味におきましては、コストコントロールや店舗オペレーションが大変に難しく、確固たるシステムを確立していないと、安定して収益をあげることは容易ではないのです」(前出高月室長)

フライドチキンイコールKFC。チキン市場一番乗りと、商品名とストアーブランドが一致しているというメリット。チェーンイメージは初期において深く浸透していることになる。

競合チェーンが存在すれば、ハンバーガー商品並に市場は拡大したとみる向きもあるが、KFCのチェーン戦略があまりにもパワフルだったので、結果的には将来のコンペティターを初期の段階で駆逐してしまったということだ。

このために自らが市場を活性化し、再創造していかなければならない。いわば戦う相手、シェアを切り取るライバルがいない“孤独なチャンピオン”だ。

「CLEANLINESS」(清潔さ)、「HOSPITALITY」(おもてなしの心)、「ACCURACY OF ORDERS」(オーダーの正確さ)、「MAINTENANCE OF FACILITIES」(設備のメンテナンス)、「PRODUCT QUALITY」(商品の質)、「SPEED OF SERVICE」(サービスの早さ)

これはKFCが全社的な視点で取り組んでいる「CHAMPS」運動だ。新しいイメージで店舗のスクラップ&ビルドも進んでいる。

国産の安全な「ハーブ鶏」をはじめ、有機、減農薬、減化学肥料の「高品位野菜」の導入、空前の大ヒットとなったチキンポットパイやピタ、グラタンなどの新商品、デリバリー機能の付加、リゾート地やアミューズメント施設などへの出店など。

また、人口の高齢化、健康ニーズ、和風化、素材、旬志向などの高まりをとらえたテークアウト惣菜の「京鳥」、ディナーレストラン「Yagura」、串焼き居酒屋「一番どり」、弁当テークアウト「菱膳」といった業態の多角化。

KFC再創造、ニューマーケットへの挑戦は多面的だ。来期(九七年度)目標は店舗数一〇五八店、売上高一二八九億円。プラスマイナスで出店、売上げともにトータルの伸びは小さいが、“新生KFC”の誕生が期待されるところだ。

◇会社概要

・企業名/日本ケンタッキー・フライド・チキン(株)(KFCJ)<二部上場>

・チェーンブランド/「ケンタッキーフライドチキン」

・設立/一九七〇年(昭和45年)7月

・本社所在地/東京都渋谷区恵比寿南一-一五-一、JT恵比寿ビル(電話03・3719・0231)

・資本金/七二億九七五〇万円

・取締役会長/財前宏

・代表取締役社長/大河原毅

・従業員数/一一九五人

・事業内容/チキン、ピザ、焼き鳥、和食チェーンの展開

・決算期/11月

・出店数/直営三二四店、FC七二〇店、計一〇四四店(対前年比横ばい)

・売上高/約一二六〇億円(同四%増=九六年度決算)

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