伝統を守り新業態に挑戦 流れを先取りする多業態チェーン 洋食の大衆路線「聚楽」

1996.06.03 102号 5面

震災の翌年、大正13年、神田須田町に生まれた間口二間半、奥行き三間半、客席数二五の小さな大衆食堂はたちまち市民の話題となった。当時、西洋料理は高嶺の花。その洋食をどこよりも安く三銭、五銭、八銭均一で食べられる。聚楽の原点“大衆路線”はこうして誕生した。

昭和7年に上野駅構内に開店した地下室食堂では初めて女子接客員(ウエートレス)を採用。三〇人の採用に五〇〇人を超える応募者がつめかけ、不採用には帰りの市電券を渡して引き取りを願うほど反響があった。

店舗数を順調に拡大していく一方で、9年には新宿駅前に“本邦初”の「食堂デパート・新宿聚楽」がオープン。11年には上野に京成聚楽、12年には浅草聚楽を落成。メニューは和・洋さまざまな装いを凝らして豊富に取り揃えた。

この三大食堂は「新時代の要求に応える大衆味覚の殿堂」を旗印に市民にとけ込んでいく。加えて旅館業、給食業にも着手しながら着々と業容を伸ばしていた折に終戦。“本邦初の食堂デパート”が無人の館となったと同時に、ほとんどの店舗が廃墟と化し、たった六店舗を残してゼロの振り出しに戻ってしまった。

創業者は一獲千金を夢見て二度ほど相場に失敗、「まじめな商売」で身を立てようと青雲の志を抱いて上京、一膳飯屋から「良い品を大量に仕入れ最も安価に広く大衆に供給すること」を天職と誓って始めた“食堂業”。カムバックの機をうかがい、29年の上野駅聚楽を装い新たに復活させて、“聚楽”ここにありと健在を世間に知らしめた。

レジャー時代の幕開けを告げる30年代にはいると業態も多様化してリゾートホテル、ロープウエーと新しい分野への進出を積極的に展開する。

なかでも水上ホテルが採用した朝食のバイキング方式は業界初の試みとして、しかも人手を省いたアイデアで注目を浴びた。また、上越線の列車食堂営業も手がけるなど、食の総合企業の道を切り開いてきた。

現在、外食店舗数は聚楽、びいどろ、百万両など多業態にわたって約五〇店舗。

「一店舗が一業態」(営業部営業課工藤明係長)というほど、チェーン理論にとらわれず、現場のニーズ最優先に店舗展開している。和・洋・中各業態のブラッシュアップを急速に進めている最中である。

特に今後伸びが期待されるのがスペイン料理びいどろグループのパエリアとスペイン小皿料理の店“エル・チャティオ”。まだ三店舗だがこのほど銀座に出店し、若い女性を中心に行列ができている。

パエリアとスペイン小皿料理の「エル・チャティオ」(上)と京橋営業所開店当日の記念撮影(「聚楽50年のあゆみ」から)(下)

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