シェフと60分:レストラン・アルファビア総料理長 井壷幸徳氏
井壷流料理は「力強い料理、素材自身が持っているわき上がってくる味、力を生かした料理」を旨とする。
妙な小細工をしないで肉は肉、野菜は野菜、ナスならナスの存在感ある料理の仕方で出していく。塩の振り加減やソースの味に気を配ったり、レモンを仕上げに絞ってみたりはするが、「これが決め手ではない。あくまでも素材を生かし、トータルで力強さを表現したい」という。これこそが「自分の料理と実感した」のは、阪神大震災以後のことだ。
それまでは忙しい毎日をやり過ごし、食材もあるものを何気なく使っていた。「震災で客足が途絶えたことで食材を見直し、料理を見つめ直す機会を与えてくれたのです」
そして今、見直しから歩を進め、これらの食材を使った料理を積極的に打ち出している。
例えば、自慢の淡路牛や海の産物であるサザエ、アワビ、ウニ、伊勢エビなどを素材の味わいを殺さず豪快な料理法で提供する。
そのほか、自ら暇があれば竿をかついで海に川に出掛ける釣り好きだけに、季節を敏感に感じさせる魚をこまめに出していく。
「都会の人がびっくりするほどいろいろな種類の魚があがってきます」と茶目っ気たっぷりの目を輝かす。
井壷流素材の生かし方は「地元淡路の住民より都会の人に理解されている」というが、多くの観光客が島を訪れることで、逆に地元民に地のものを見直すきっかけを与えているようだ。
最近では「アルファビア」に近接して物産館やレストランが建設され、地元産物をアピールするエリアも広がりつつある。
「たまたまスパゲティは何が良いのかなどの相談にのっているうち、ここに転職してしまいました」
都市の小さなレストランで限られた客を相手に一生懸命頑張っても限度がある。それよりもっとグローバルに、全国からの不特定多数客を相手に魅力あるレストランづくりをしようと自らを賭けたのだ。
「食事はトータルで楽しむもの。三割が料理、あとの七割は雰囲気やサービス、そしてお客自身の精神状態がきめることです」
海辺に近いレストランは、新鮮な空気と潮風が運ばれ、吹き抜けの高い天井と総ガラス張りの店内からは、どの場所からも自然の緑に溶け込んだレンガ倉庫が望まれる設計になっている。
元紡績工場の跡地を転用したミュージアムパークの一角に建つレストラン「アルファビア」。施設内にありながら、自然を上手に取り込んだ島のレストランとして知られるようになってきた。
四方を海に囲まれた野趣豊かな島に人を引き寄せるレストランは、自然を生かすこともさることながら、淡路島ならではの味を打ち出すシェフの存在も大きい。「この地に腰を落ちつけ、地の食材を生かし頑張っているシェフといわせる、光る自分づくり」に励みたいと自らを叱咤激励する日々だ。
自然と一体となったおいしい空気と素材を生かした井壷流料理には、スタッフのサービスが欠かせないという。
一二人のスタッフ全員が厨房とホールのどちらへも流動的に動けるよう配置されている。
料理を作るだけ、サービスするだけでなく、お客が欲しがっているものを料理人が喜んで作り、これをサービスする連帯感があってこそ、トータルで楽しめるレストランというわけだ。
お客に喜んでもらいたい気持ち、料理を作る喜び、しんどさを一人ひとりが理解し合えれば、「形のサービスはいらない、自然に心の伝わるサービスにつながる」と信じる。
店内に大きく広がるオープンキッチンは、こうした態勢を進めるのに大きく貢献しているようだ。
「自然を素直に感じ、表現するには密室の厨房では不可能。自然に接しながら寒いときには寒いときに相応しい料理を提供する、お客も一緒に季節を楽しむのです」
それにはと自身を自然に預け、ともに遊び、凝視して感性を磨く努力を怠らない。
スキーに、また、幼い頃から手放せないでいる釣竿を担いで海、川、ため池にと出掛けていく。
淡路島ならではの野菜として知られる玉ネギ、レタスなどを季節、生産地により使い分ける。微妙に味が違うという。
こうした産地もののほか、契約農家と一緒になりおいしい野菜作りを楽しむ。
レタス一つでも結球したものから広がったサニーレタス風な種をフランスから取り寄せて作ったり、試行錯誤のなか、良いものを残すようにする。
「今まではあるものを使いこなす時代だったが、これからはシェフ自身が新しいものを作っていく時代」と豪語するが、多くの素材を扱った経験の裏打ちがあってのことだろう。
最近の傾向で癖のない食べやすい野菜が好まれているが、逆にアクのあるものも同時に提供し、おいしいものの選択肢を広げておく。
「どちらがおいしいかはお客が決めること、食材もお客が選ぶ時代です」
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
・所在地 兵庫県洲本市塩屋一-一-八
・電話 0799・26・1010
一九六七年、淡路島・洲本市生まれ。商家の井壷家では、大きな商いが入るとレストランで豪勢に食事をするのが習わしだった。また、小学校卒業と同時に進学した全寮制中学・高校では、自由に使える小遣いをすべて級友たちとのレストラン通いに消費するほど早くからグルメの世界を知る環境にあった。
こうしたいったん覚えた味からは逃れがたく、ついに、自らがおいしい味を探求する料理人の世界に踏み込むことになる。
神戸「壁の穴」での修業二年弱、さらにスパゲティだけでは面白くないと本格的イタリア料理修得を目指し、「イタリア亭」や「コロッセオ」に始まり本場イタリアにまで乗り込む。二ツ星レストラン「ラ・フラスカ」などで修業を積み帰国後、阪神大震災に遭遇、改めて生まれ故郷淡路島を見つめ直すことになる。
今では、新鮮な魚介類をはじめ、豊富な地の食材を生かした井壷の味を淡路島のレストラン「アルファビア」から全国に向けアピールする。