業界人の人生劇場:坂東太郎代表取締役・青谷洋治氏(下)
「ばんどう太郎」の経営が軌道化し一段落したところで、次なるコンセプトづくりが始まる。
「とんかつに目を付けました」
「仕事で各地を回っていて、必ず街に一軒は人気のとんかつ店がある、ということに気がついたんです。ところが、いずれの店も繁盛しているのに、街中で店舗が小さいためお客が窮屈そうに食べている。しかも客層が男性サラリーマンに偏っている。これを郊外型に置き換えれば、ファミリー客が殺到するのでは、とひらめきましてね。それで次なる業態コンセプトをとんかつに決めたわけです」
「とんかつ店の成功を確信したのは、パートさんらにお願いした試食での反応でした。いろいろな店で豚肉を買ってきて、とんかつにして試食させると、『これはAスーパーの肉、そっちはBスーパーの肉、あれはC精肉店の肉』、と見事に当ててしまったのです。とんかつは単純な料理だけに味を判断し易い。だから専門店ならではのおいしいとんかつさえ作れれば、必ず支持されると確信したわけです」
とんかつ店の出店に向けて走り出すが、立ち上げまでに二年間もかかった。
「まずは各地の人気とんかつ店を食べ歩きました。その数は四六店。行くと必ず五~六品注文しまして。衣をはがしてみたり、肉だけ食べて見たり、店主に頼んでパン粉をもらったり、ありとあらゆる研究を重ねましたね。そして肝心なソース。全国からソースを集めて一品一品の味を勉強しながら独自のソースを開発しました」
「以前の私なら、思いつくまま独断専行ですぐに出店したでしょうが、そのときは『ばんどう太郎』での教訓を生かしました。従業員自信が納得し、自信を持ってお客様に勧められるとんかつでなければ、コンセプト先行ですぐに行き詰まる。だから、長期間かかれど、どこにも負けない最高のとんかつを作り上げるこに徹したわけです」
取り組み始めてから二年後の平成5年4月、七〇坪・七〇席の「かつ太郎総本店」を茨城県境町にオープンする。田園地帯、国道沿いの立地で、町内人口はわずか三万人弱。おせじにも好立地とはいい難い。しかも客単価は二〇〇〇円以上と高めな設定。
ところがふたを開けてみると月商一五〇〇万~二〇〇〇万円と大繁盛。来店客数は月間二万人にも達した。
「新しい業態コンセプトと専門店ならではのおいしさ、そして従業員の自信が三位一体となって完成しました。強い集客力は、お客が感動する食シーンを創造したことに尽きると思います」
かつ太郎の出店は順調に進み、現在九店舗。いずれも類似立地で好調に展開している。
同店の成功事例を参考に追随してとんかつ店を立ち上げた企業も数多く、その数は二〇〇店舗にも達するという。
「いまは、お客の笑顔、はつらつとした従業員の姿を見ることが一番の喜びですね」
「飲食業というのは大変な仕事。会社設立後のバブル時、従業員の退職者が相次いで労務倒産の危機もありました。しかし、それは従業員が幸せでないからやめて行ったわけです。お客が来てくれないこともありました。でも、それはお客の求めるメニュー開発やサービスを怠っていたからです。いまは、従業員の幸せとお客の満足を追求していれば、小さな企業であっても必ず成功すると信じています。また、小さな企業であっても地域一番店の経営者として、従業員として胸を張るようにしています」
現在、青谷社長はとんかつ店に続くコンセプトづくりを始動している。
「今度はうどんです。かつてマクドナルドの藤田社長の著書に、『これからの日本、ハンバーガーに勝てる外食があるとすれば、うどんかそば以外にあり得ない』という一文がありまして。私と同じ考えだったのです。それならばやってみようということで、試験的に『元気うどん家』をつくば市に出店しました。詳細はまだお話しできませんが、従来のうどん店にない“うどん料理”というコンセプトに基づく、とだけでもいっておきましょう」
「うどんを手掛けるに当たっては実は別の目的がありまして。元気のいい新興そば店はたくさんあるのに、うどん店は少ない。若者からの関心も少ない。伝統食がこのような現状では寂しいですからね。活気あふれるうどん店を立ち上げて、うどん業界を盛り上げたいのです。格好良くいえば、文化継承の役割を担いたいというところですかね」
地域一番店、従業員の幸せ、お客の笑顔を追求する青谷社長。うどん店で、いかなる手腕を発揮するか見物である。
◆(株)坂東太郎/代表取締役青谷洋治/本部所在地=茨城県猿島郡総和町高野五四〇-三、電話0280・93・0180/設立=昭和61年11月/資本金=四〇〇〇万円/従業員数=四〇〇人(社員一〇〇人)/年商=二三億円(平成9年度)/店舗数=「ばんどう太郎」(そば、うどん、すし)七店舗、「かつ太郎」(とんかつ)九店舗、ほか三店舗
“熱き温かさ”“母さんの心”“父の励まし”をテーマに掲げる郊外型和食チェーン企業。お客の喜びと従業員の豊かさを追求しながら、地域貢献を目指す新興外食企業として注目されている。昨今の郊外型とんかつ店ブームは、同社の「かつ太郎」から始まっている。
◆青谷洋治(あおや・ようじ)/昭和26年、茨城県出身の四六歳。専業農家の長男として生まれ少年のころから農業に従事、かたわらそば店で修業。そば店店主として独立した後、(株)坂東太郎を起こす。趣味はマラソンと最近始めたピアノ。ホノルルマラソンでは五時間三〇分で完走、ピアノは週二回一時間ずつけいこに通う。酒はつきあい程度。たばこは吸わない。