シェフと60分:「ラ・トゥーエル」オーナーシェフ・清水忠明氏
「漠然とどこかの店の料理長にと思っていたが、まさか自分で店を持とうとは」
思わぬ弾みで自ら店主になった事情を話す。
たまたま大雪となったある朝、革靴を履いていたため転んで複雑骨折、即入院となった。
「今まで、数字の管理、オーダー、フランス人との折衝、すべて私がいないとできないと思い込んでいた」ところが、入院中も仕事はスムーズに進んでいた。
「これがホテルの機構だとつくづく思い知らされました。組織の歯車の一つにしか過ぎない、いてもいなくてもよい存在だったのです」
それなら自分でやるしかないと、自ら店を持つ決心をする。今まで休みも返上し、働きに働いていたため、たまってしまった有給休暇は六ヵ月。これをフル活用し開店準備にあてる。肝心の資金はわずかな自己資金と母親の退職金を担保に公庫から借りたものだけ。
コンクリートも敷きっ放し、これじゃ客も入らないよと言いながらの見切り発車。
「売り物は料理だけ。ホールのサービスは素人といってよい弟と彼の奥さん、私の家内が担当という身内で固めてのスタートでした」と当時を振り返る。
暮れも押し詰まったころ、一人の医師夫人なるお客がランチを食べ、大いに気に入ったからと知り合いをどんどん連れて来るようになった。ここで運命の扉が開かれる。
「料理の鉄人がマスコミで話題になっているころです。冗談に出演してみたいねと言っていたら、これまた不思議なことに実現し、坂井宏行とオマールで対決、勝ったんです」
この後は押して知るべし、店内に入れきれないお客が詰めかけパンク状態。なかには断られたことを怒るお客もあったが「今思えば、ここで稼げるだけ稼ごうとスケべー根性を出していたら一年で駄目だったでしょうね」と、自らがとった舵取りが間違っていなかったことを確認する。
今はランチを一〇〇円上げるのさえ大変な時代。「逆にこういう時代だからこそ値上げを決行しました」
かつて務めたラ・トゥールジャルダンでは、五万円だったものを三万五〇〇〇円にしたところ、従来からのお客ばかりでなく新規のお客も入らなくなったことがある。
なぜか。下げたことで利益を出すためどこかを落とさなければならない。ホテルの場合、まず人員一六人を一〇人にして人件費を落とす。当然サービスの質は落ち、お客は敏感に反応する。
「安くなって良かったなんていうのは大間違いです」
コースは三五〇〇円からのスタートだった。それを五〇〇〇円に値上げし一年を通すが、一気に客は減る。この時テレビ出演でなんとか息をつなぎ、翌年店内を全面的に改装して七〇〇〇円の値上げに踏み切った。また、ランチも二〇〇〇円だったものを二五〇〇円、三五〇〇円にアップする。
結果は五〇〇〇円の客はプッツリ途絶え、二〇〇〇円の客も来なくなった。ところが「トゥールジャルダンと同じ仕事を七〇〇〇円でやろう」という意気込みに引かれ、新しい客が次第につくようになる。
現在、コースは七〇〇〇円、一万円、一万五〇〇〇円があるが、人気商品は一万円というから不思議だ。
「三年前に選択を迫られ、きっぱりと決めたのが逆に良かった。自分の給料を全部出せば何とかなると。ただ一か八かの選択ではなく、計算はしていますよ、経営ですから。人を集めてなんぼの世界、長島監督でも同じでしょうね」
「女性はとてもシビア。この値段でこの味、得だなって思わせなくてはいけません。それには料理がおいしいに尽きますが」
食材にはとことんこだわるが、「どこどこの何々さんが作ったうんぬんは愚の骨頂」。それよりキャビア、トリュフを少量のせるよりボタンエビを付けるとか、オマールエビは四倍の値段のブルターニュ産よりカナダ産をふんだんに使う。「四倍の味かといえばそうではありませんからね」と笑う。
このほか皿をディナー用、ランチ用と使い分けていたものをすべてディナー用に統一し、同じ料理を食べても各人の皿を違えた。オードブルからコーヒーまで三人三様の皿だ。
「最初はスタッフも混乱したようです。今では当たり前に思うほど管理できるようになりました。また、女性客はこうしたことを気付いてくれ、広めてくれます」
ラ・トゥールジャルダンを離れて独立しながらも、常に同じように質の高い仕事をしようという意識が付きまとっているように見受けられる。
◆プロフィル
一九五六年東京生まれ。子供のころからなぜか好きだったフランスに行きたく料理人となる。軍資金の三〇〇万円を貯めるため過労で倒れるというアクシデントもあったが、チケットを壁に張り付け自らの士気を鼓舞、一振りの日本刀を携えあこがれのフランスに渡る。渡仏後、六年間で蓄えた持ち金はすぐに底をつき、居合いをやる父親の弟子だったフランス人を尋ね道場にもぐり込む。
ここで運命の人、パリ六区の警察署長に出会い、「ラ・トゥールジャルダン」を紹介され無事入店。がむしゃらな修業と同時に仕事を離れてのパリの生活を思いっきり満喫する。四年後の二八歳の時、ラ・トゥールジャルダンが日本にニューオープンとなりスーシェフとして逆派遣され帰国。ここで七年間勤務後、一国一城の主として自らの居場所を「ラ・トゥーエル」と定める。
◆所在地・東京都新宿区神楽坂6-8 03.3267.2120
文・カメラ 上田喜子