チーズ特集:今昔物語、聖徳太子も食べていた?「食べる薬」

1998.11.02 165号 2面

わが国の説話文学の最高峰である『今昔物語集』は、平安時代の末期、一一二〇年前後に成立したと考えられている。文学青年でもない私(チーズおじさん?)が、何でこんな書き出しかというと、たまたませがれの机の上に『図説日本の古典 今昔物語』を目にしたからである。

作者についてははっきりしていないが、最も有力なのは、比叡山に関係のある複数の偉い僧侶が、仏教のおしえを昔話を通してわかりやすく啓蒙しようとした仏教説話と、当時の生活観を描いた世俗説話が、全三一巻(現存二八巻)に編さんされているという説。説話の数は千数十話もあり、ひょっとしたら中に、チーズに関する「酥」(そ)とか「醍醐」(だいご)が登場しているかも? とページをめくってみたが、直接的なものは発見できなかった。

それでも興味をそそるいくつかの記事があった。その一つに、漢の武帝の時、胡国で捕われた蘇武は、漢に忠節を通したため羊飼いにされた。その姿が江戸時代の渡辺崋山によって描かれているが、羊というよりどうみても山羊である。羊であるはずのものがどうして山羊になってしまったのか? チーズ屋としてはちっと気になる。この時代の日本には羊はいなかったのか?

そんなことはともかく、漢の年代は、西洋ではローマ大帝国の年代、その時代に中国でも羊飼いがいたのである。ロックフォールを作っていたかも知れない。いや、そんな記録はない。

このほかには、仏教伝来と「醍醐」が出てくる経典のこと(巻六の半ばから巻七)、チーズを食べていたであろう聖徳太子の偉業(巻一一の一)、チーズ「酥」を献上させた文武天皇時代の仙人が活躍する話(巻一一の三)。

話が脇道にそれてしまったが、百済から帰化した二世の善那が乳を搾って初めて孝徳天皇(六四五~六五三年)に献上し、善那はその功績で大和薬使主(やまとくすりのおみ)という姓を与えられ、乳長上(ちちのおさのかみ)の職につく。この地位を現代流に「厚生省薬務局乳薬課長兼宮内庁御料牧場長」と大学院の教授が解釈されている。

ミルク一つでこんなに疲れるほどの肩書をいただけたのである。この雅の時代のチーズ(酥)は、「食べる薬」としていかに貴重な扱いを受けていたか理解できるはずである。

歴史は下り、病弱な松平広忠(徳川家康の父)は滋養強壮のため、奥方の手作りチーズを食べていたようだ。これが本当だとすると、生まれた竹千代(徳川家康)が小さい時から寒くとも「寒い」と言わず、痛くとも「痛い」と言わないほど心身ともに強い子供だったのは、奥方の於大の方が懐妊中に「酥」をたくさん食べたからだとうなずけるような気がする。

明治時代に活躍した福沢諭吉も牛乳を飲むことを奨励している。このように日本は近代まで乳製品は薬に近い扱いであった。

それに対し、西アジアやヨーロッパでは、生活に密着した生きるための重要な食べ物であった。今もネパールの山岳民族では、ヤクの乳で作ったチーズを、生活の糧としてとても大切にしている。乳はチーズを作る大切な材料なので、飲んでしまうようなぜいたくは許されないのだ。これがチーズ本来の姿かもれない。

近世に入り、ヨーロッパで王候貴族の間で食後に楽しむデザート・チーズがもてはやされた。この習慣は超ぜいたくな食べ方なのだ。プラトーに美しく盛り付けられた田舎育ちのトラディショナルなチーズたちは、あまりの晴れがましさに、さぞビックリしたことだろう。

さて、日本でのチーズたちの本格的なデビューは、ずーと後の昭和時代に入ってからと思われる。太平洋航路に就航した秩父丸(一九三〇年建造、当時世界でも数少ない大型ディーゼル船の超豪華客船)にその晴れがましい姿を見ることができる。

横浜のマリー・タイム・ミュージアムに展示された一九三六年5月5日の秩父丸の英語のランチ・メニューを紹介してみよう。

フレッシュチーズ、オーストラリアン、ゴルゴンゾーラ、パイナップル、カッテージ、マンステール、ヤング・アメリカン、ホッカイドウ、ポーションスイス。

九種類、少なくとも五ヵ国でできる、当時の環境としては豪華な顔ぶれのチーズが載っている。日本のチーズも世界の名だたるチーズと肩を並べてさぞうれしかっただろう。

メニューの中のホッカイドウとは、北海道産のチーズではないかと想像される。一九三三年8月に雪印乳業がチーズの製造を開始しているからである。

それにしても、当時日本では、ごく一部の人しか知らなかったチーズを、これだけ種類をそろえていることは、レベルの高いメニュー構成であり、海外の豪華客船とのし烈な競争であったことがうかがえる。このメニューが出されたたった三年後には、第二次世界大戦が勃発したのだから。

歴史の中にポツポツ見え隠れしていたチーズも、今ではすっかり様変わりしている。航空機の発達と、東京オリンピックが、チーズの普及に大きく貢献した。今まで手に入らなかったフレッシュタイプや、熟成の早いソフト系のものまで、生産地と変わらない味を楽しめるようになった。

チーズはゆっくりではあるが、着実に消費を伸ばしている。昨年の日本人、一人当たりのチーズ消費量は一・七六キログラムとなった。欧米諸国と比較するとまだまだ少なすぎるが、戦後五〇年で五〇〇倍に増加している。グルメ志向の高まりやチーズの価値観の再認識、それにワインの定着化もチーズの消費の拡大の牽引役となっているようだ。

チーズ消費拡大の大きな理由のひとつとして、チーズそのもののバラエティーが広がって消費者の層を厚くしたことが挙げられる。伝統的なチーズは天然塩を大胆に使い、味の濃い香り豊かで、はっきりした個性に仕上げられている。この伝統手法のチーズは、しっかりした「うま味」を味わう喜びがあるが、好みの熟度を見分ける難しさがある。

人の舌に心地よい塩分濃度は一・四%であり、テーブル・チーズの中で、ロックフォールは三・六~四・五%であり、パンなしでそのまま口に入れれば、強く感じるのも当然である。しかしシャンベルタンと合わせれば、あのカサノバさえうならせた魅惑の味わいが感じられるのだ。

フランスのAOC(原産地統制呼称)チーズは三六品あるが、その中でロックフォールの生産量は第二位を誇っているにもかかわらず、生産量の伸びは横ばいである。ところが、日本では赤ワインブームのおかげでブルーチーズは昨年三五%も伸ばしている。

この伸びているブルー系は共通性がある。「穏やかな香り」「滑らかな舌触り」「癖のない味」「低塩」のこの四要素は、ほかのタイプにも共通している。これらのニュースタイルのチーズのお陰で、女性のチーズ・ファンの拡大に貢献している。

ニュースタイルの白カビ・タイプは固形分中乳脂肪が六〇%以上のものが多く、特に若い女性に人気がある。ふわっとした白カビも美しく、クリーミーな味で、安定した軟らかな組織は、熟成度を気にせず食べられる手軽さがある。このニュースタイルのタイプは「おいしい」と表現できるチーズである。

このような消費者のし好傾向は日本にとどまらず世界的なものになっている。おいしくて、他の食品と相性が良く、そして健康にも良いのだから、チーズは二一紀の主役になると私は確信している。

(チェスコ(株)取締役・村山重信)

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