店主の本音・プロが訪ねる気になる店

1999.02.01 171号 8面

前回(1月4日付)では、華やかなマスコミで取り上げられる料理人でありながら、同時に厳しいレストラン経営との間で着実に地歩を固める二人のシェフ、「トゥーランドット游仙境」脇屋友詞料理長と、「赤坂璃宮」譚彦彬総料理長に、日ごろの経営理念・手法などを語ってもらった。引き続き今回はその展開と、最近熱き視線を向ける大陸の中国料理についての見解を披露してもらった。

◆訪ねる人=トウーランドット・脇屋料理長

(わきや・ゆうじ)=中国料理「トゥーランドット游仙境」料理長(横浜市西区みなとみらい二‐三‐七、パンパシフィックホテル、Tel045・682・0361)

一九五八年、北海道生まれ。東京「山王飯店」、「楼蘭」などで修業後、キャピタル東急ホテル中国料理長補佐、立川リーセントパークホテル総料理長を経て、赤坂「トゥーランドット游仙境」、パンパシフィックホテル横浜「トゥーランドット游仙境」料理長に就任。

◆迎える人=広東名菜「赤坂璃宮」譚総料理長

(たん・ひこあき)=広東名菜「赤坂璃宮」総料理長(東京都港区赤坂二‐一四‐五、プラザミカドビルB1F、Tel03・5570・9323)

一九四三年、横浜市生まれ。新橋「中国飯店」、芝「留園」で修業後、仙台ホテル、京王プラザホテル「南園」の副料理長を務め、ホテルエドモント「廣州」の料理長に就任。平成8年9月「赤坂璃宮」のオーナーシェフに。

脇屋 イベントを打つとか何かしらの手を打たなきゃいけない。例えば譚さんと競演をするとか。今年はぜひ譚さんに来てもらい広東料理を披露して欲しいですね。そうすればお客も今までとは違う味が楽しめると喜んでくれます(笑)。

譚 ええ、ぜひとも(笑)。脇屋さん自身どこかに出掛けられたことは。

脇屋 ありますよ。最近では沖縄や金沢などへ。

譚 メリットは。

脇屋 例えば沖縄へ行くと、食材や伝統料理について聞き、私なりのアレンジ料理を作ります。これは自分自身にとってもとても勉強になります。

また、金沢ではフランス料理の坂井宏行さんと一緒に二年間イベントをやりましたが、もう勝手知ったる他人の家。自由に調理場に入って分からないことを聞くなど、親交を深めています。

これは料理長だけでなく、下の者にとっても良いことだと思いますよ。彼ら同士も交流ができ、外の風に当たるチャンスにもなりますから。

譚 あまり出たがり屋ではないんですが、上海系の宮本荘三さんと一緒したことがあります。

ただ最近は、首都圏と地方の差がなくなりました。あるのは値段ぐらい。昔は情報がなかったので、地方に行くと今でもこんな料理があるのか、まだこんなことをしているのかと驚かされることが多かった。今は器も良いし、食材もここ一~二年でずいぶん変わりました。昔はカリフラワーしかなかったころ、ブロッコリーを使うだけでもビックリしていました。何をやっても素晴らしいと(笑)。

脇屋 技術的にはどうでしょう。

譚 私たちの時代は盗んで覚えろでした。今はすべてを教え、またテレビや本からの情報も多くなりました。初めて地方へ行ったころ、ちょうど東京オリンピックのころでしょうか、見習いで給料八〇〇〇円、私が五万円、料理長一五万円でした。差は大きかった。

今は仕事も縮まったが給料も縮まりました。三〇代でも負けないくらいの盛りつけをします。

脇屋 ところで中国にはよく行かれますか。

譚 今後、中国との付き合いはますます深まると思います。昔、中国飯店にいるころ、華僑と香港のコックさんとはほんとうに仲が悪かった。

脇屋 ほー。

譚 京王プラザがオープンのころ、私はいなかったんですが、周さんの華僑グループと香港グループは仕事が違うからとお互い話し合わなかったようです。

私が中国飯店に入ったころは日本人がいませんでした。また、留園へ入った時は日本人、香港、華僑と三つのグループがあり、広東料理、上海料理、四川料理、北京料理に分かれ、それぞれ言葉も北京語、上海語と分けて使っていました。お互い牽制し合っていたんです。習慣も食べ物も違う。当然のことです。

日本人は終身雇用、向こうは自分の技術を売るんだ、買うんだの世界。給料が三〇〇〇円違ってもよその店に行くくらいシビア。経営者も、元気なうちは使ってくれるが病気になれば使ってくれない。給料は一番高くて三五万円~四五万円ぐらい。五〇歳を過ぎるとだんだん給料が下がっていきます。

脇屋 向こうははっきりしているんですね。

譚 二〇~三〇代で仕事を覚え、三〇~四〇代でしっかり給料を取らないと五〇代を超えると下がってしまう。日本のコックさんはずっと上がっていく。若い時は仕事が多くて給料は少ない。歳をとると仕事が少なくて給料は多い。中国は違います。給料に見合った仕事と責任がついて回る。

香港では八〇万円もらったら八〇万円なりの仕事、料理を出さなくては首になります。経営者が味を知っていますから。

日本の場合、味を知らない。名が売れているから、知られているからたいへんな料理人と評価する。

向こうでは経営者に料理を出す時、一番鍋は絶対に人に任せず自分でやります。もし他人に任せた料理が「なんだこの料理は」ということになると、責任は一番鍋になるからです。日本は、料理長になると一番の部下に親父のために飯を作ってくれとなりますが。

また、日本では売上げをキチンと上げていれば首にならないが、香港ではいくら売上げを上げてもオーナーの気に入らなければ首になってしまう。常に仕事の腕と給料を厳しくチェックしています。

だから日本で仕事をしている香港のコックさんは、オーナーが来るととたんに緊張する(笑)。日本で育った華僑のコックさんは半分日本人化していますから何で上にゴマをするんだ、今までたばこを吸っていたのに急に態度を変えるんだと。

これは誤解です。彼らはそういう習慣の世界なのです。それを理解してあげないと「あいつらは汚い」となり、逆に香港のコックさんは華僑のコックさんのことを「仕事ができないのに大きな顔をしている」となる。現在は日本と向こうとの交流も盛んになり、こうした感情の行き違いもだんだん少なくなりましたが。

脇屋 うちは上海料理なので点心など焼き物に三人の中国人コックさんが来ています。二人は女性。少し口はうるさいが男性コックと対等にやっています。気が強いというか(笑)、鍋を振り、包丁も使います。

私は彼らに昔ながらのおかず料理を作ってもらっています。こんなおかずがあるのかと参考になります。

譚 そのほうが良いのかもしれませんね。一時期、大陸から特級のコックさんが来ていたが、ニセモノが多かった。みんな親戚のコネとかで来ていた。一五年前が一番ひどかった。

仕事はしないのに特級とか一級と言っていた。中国四〇〇〇年の歴史とかいって来たが、できるのはほんの一部分。ほとんどは駄目でした。向こうでは一級でも特級の免許をやるから日本へ行って来いと(笑)。今は教育もちゃんと受けており良くなったんですが。

今から二〇年前の香港の上海料理は良かった。文化革命で大陸のコックさんが逃げて台湾、香港に行ったからです。また、もともと香港の商人は上海人が多く、レストランに行く時は上海料理か地元の広東料理。お客がコックさんを育てたところもあり、中国の一流ホテルでは香港から引き抜いていたくらいでした。

それが今では大陸のコックさんも育ち、あと一〇年もすれば素晴らしい人が出てくると思いますよ。

脇屋 大陸は経済力がつけば豊かになり、また、コックさん同士の交流も頻繁になれば、もともとの下地があるから力をつけるでしょう。それにホテルや高級レストランのルールを学ぶようになれば、だんだんと花開いていきますね。

譚 行くたびごとに学ぶことがあります。料理がどんどん良くなっており、かえって香港のほうがストップしているという感じがします。

脇屋 大陸は行っても駄目(笑)という感じでしたが、ここ一〇年くらいで地方へ行っても面白い料理が発見できる。

今後、こうした大陸の伝統を踏まえた上海料理に創作も織りまぜた私の料理を打ち出していきたいですね。

譚 私は細かいのは駄目。ドーンとダイナミックにやりたい。お互いの特色を生かした中国料理をやっていきましょう。

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