忘れられぬ味(4)スハラ食品相談役・村山裕「積丹の漁師の鍋料理」

総合 連載 1999.12.17 8626号 2面

私は元来グルメ派ではなく何でもおいしく食べるタイプだったので「忘れられぬ味」といわれると、あれもこれも思い出して困ってしまう。そのなかで今でも記憶に残って、もう一度食べたいと思うのは旧制中学時代に夏休みを過ごした時の漁師の素朴な魚介料理である。

戦前(昭和12年)、夏休みを利用して小樽の近くの積丹半島の美國町の知人宅に一週間ほど寄宿し、そこに出入りしていた漁師の親方が家族と磯舟で沖合へ連れていってくれました。本職の潜りでアワビやウニを山のように採ってきて、舟の上で殻を破り、海水で洗ってそのまま生かじりをした時のおいしかった味は今でも忘れられない。

そのあと舟をつけ、釣り上げた「あいなめ」や「そい」などの小魚を、その辺で拾い集めた「つぶ」と持参した各種野菜、それに加えて食べ余したアワビとウニ、ひる貝をふんだんに使い、浜辺の石をコンロ代わりに流木を燃やして大鍋で浜鍋を作り昼食をとった。海風に吹かれての浜辺での馳走は家庭で作る鍋とは一味も二味も違い、たらふく自然の味を満喫することができました。

次に漁師のお内儀さんの手料理で忘れられないのが鮭鍋です。私の父は戦前稚内市の隣町の声問という寒村で永和食品という焼竹輪工場を経営し、冷凍焼竹輪を貨車で東京、大阪市場に出荷していましたが、戦争も苛烈になった昭和18年春、私が大学一年で帰省していた時、声問工場へ出掛けたことがありました。樺太が目の先でしたが、田舎の生活はのんびりしており、大沼で「しじみ貝」をとったり声問川で「うぐい」釣りをして楽しんだのです。工場で働く漁師のお内儀さんたちが一夜私のために特製の鮭の浜鍋を作ってくれました。大勢の人数分を大鍋で作るのですが、鮭の切身、頭(ひず)、大根、馬鈴薯他野菜などを下地に味噌味で仕立てた上に、適当に煮立った頃合を見計らって、大鍋の表面一杯に「鮭の白子」を敷き並べ、さらにその上にもう一層「鮭の生いくら」をたっぷりと敷き並べ、再度煮立てるのですが、その何とも言えぬ美味はさすがに漁師の奥さんたちの秘伝の味と堪能しました。同時に食べた七、八年生以上の生鰊の炉端で串焼した油のしたたる味も忘れられません。今もこの田舎の素朴な親切と心のこもった「もてなし」が、五〇年以上前の楽しかった記憶として脳裡に浮かびます。

(スハラ食品取締役相談役)

日本食糧新聞の第8626号(1999年12月17日付)の紙面

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