ようこそ医薬・バイオ室へ:「ドーピング」っていったい何?

2000.12.10 64号 6面

シドニー五輪は日本選手が結構活躍したこともあり、楽しませてもらった。「参加するだけでは意義がない」という風潮になりつつあるが、水泳の予選一組はいずれも「参加することの意義」を思い出させてくれて、特に印象的であった。と同時に、柔道の篠原選手の誤審や、体操のラドゥカン選手のドーピングなど後味の悪い問題もあった。

そのドーピングであるが、本稿でも以前にエリスロポエチン(EPO)を取り上げた。EPOは赤血球を増やす薬剤で、残念ながら先の世界選手権や今回のシドニーでも選手村でかなりの量の空き瓶が発見されたという。

ところで、ドーピングとは、南アフリカの先住民カフィール族が疲労回復や士気高揚のために飲む刺激・興奮剤であるドープからきている。ドーピングの歴史は古く、紀元前三世紀の古代ギリシャで選手に興奮剤を与えたり、古代ローマ時代も馬にアルコールを飲ませたりした。そして、一八八六年の自転車レースでは興奮剤の過剰摂取で初の死亡例が報告されている。五輪では一九六〇年のローマ大会で、やはり自転車競技で死亡者が出ている。

そもそも第一次世界大戦では夜間戦闘用に覚醒アミン(中枢神経興奮薬)が開発され、戦場で兵士を強くするために使われた。第二次世界大戦では日本でも特攻隊員にアンタフェミンと抹茶の混合物を出撃に際して飲ませていた。

ま、ともかく、ドーピングを非常に有名にし、かつ驚かせたのは、やはりソウル五輪(八八年)のベン・ジョンソンの事件であろう。レース後のドーピング検査で尿から筋肉増強剤スタノゾロールが検出され、金メダルは剥奪、二年間の資格停止処分が下された。

その頃は「何とバカなことを」と思ったが、当時のトップアスリートは皆やっていることで、勝てば何億、何十億円という報酬が得られるので、「薬を飲んで勝つか、飲まずに負けるか」の選択に迷いはなかったという。

ジョンソン側は薬物使用を認めたが、「ソウル五輪でははめられた」と主張している。つまり、スタノゾロールは服用後四五分で体内からなくなり、その派生物も二週間でなくなるはずで、ジョンソンは四週間前に服用したので、検査で検出されるはずがなかったらしい。当時、オリンピック委員会(IOC)はドーピング検査をしてもなかなか陽性が出なくて焦っており、ビッグネームであるジョンソンに対しては狙い撃ちで肝機能検査までしたという。アンチドーピングの姿勢を積極的に示す必要があったIOCの政治に利用された面もあるが、ジョンソンは復帰後も九三年に薬物使用が発覚し永久追放になっているので、薬物代謝が遅い体質であった可能性がある。

また、九八年に急死したフローレンス・ジョイナーも常にドーピングの疑惑を持たれていた。大活躍したソウル五輪の翌年に突然引退したが、それはドーピングの「抜き打ち検査」が制度化される直前だったことからも疑惑を強くした。その「抜き打ち検査」とは、大きな大会の数カ月前に行われ、大会に向けドーピングの痕跡を隠す操作に入る時期だけに効果はてきめんである。昨年(九九年)8月の世界陸上大会前の抜き打ち検査では、一〇〇メートルのリンフォード・クリスティや、走り高跳びのソトマイヨルらのビッグネームが失格している。

ところで、ドーピングの薬剤というと、興奮剤や筋肉増強剤が多いが、逆に筋力を弱める薬が使われることがある。βブロッカーという薬がそれで、高血圧や狭心症などで心筋の収縮力を弱めて心拍出量を抑える時に使うものである。そのため、βブロッカーを服用すると酸素の取り込みが減るので運動機能は低下する。が、この薬には同時に鎮静作用があり、手の震えを抑える効果があるので、射撃やアーチェリーにはよく使われるそうである。

さて、ラドゥカンが金メダルを取ったときに、アナウンサーが「陽気なラドゥカンがやりました!」と絶叫した。たとえ風邪薬とはいえ、「一般人でも知ってんのに試合前に飲むかね」というのが「ご陽気」な妻の印象である。

(新エネルギー・産業技術総合開発機構 高橋 清)

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