自由時間術、女性講談師・神田香織さん語る

2000.08.10 59号 5面

漢方復興。いまや大学病院でも東洋医学が取り入れられるようになった。しかし、かつて漢方は大変弾圧をうけた時代があった。明治維新の文明開化の大波の中で、孤軍奮闘で東洋医学復興に尽力した人物・和田啓十郎氏にスポットを当て、漢方復興に至る歴史を知る講談が、7月22日、東京北区・滝野川会館で開催された(主催=日本医科大学)。

この講談を発表した神田香織さんは、「はだしのゲン」など一人芝居の要素を取り入れた数々の新作講談を手掛ける、いま注目の女性講談師。自らギックリ腰を東洋医学で嘘のように治してもらって以来の、漢方ファンであるという。

「日本的な伝統文化を排斥する文明開化の流れのただ中、明治初・中期は、漢方受難の時代でした。西洋医学に対し、東洋医学は、科学的根拠のない陳腐なものとさげすまれる傾向が蔓延したのです。しかし明治5年生まれの和田啓十郎という一人の医師は、『医界之鉄椎』という書物を出版し、東洋医学への偏見をとりさる努力を続けました。それはいまや医学界に欠くことのできない蔵書となっています」。

講談中には、和田啓十郎にまつわるさまざまな逸話が分かりやすい言葉で紹介されている。

「啓十郎は、西洋医学を学んだ後、ある漢方医のもとに弟子入りしました。世間から弾圧を受け非常な貧乏暮らしでしたが、ある日、本を読んでいると、虫の声が聞こえます。ギュルルルルルー。その声は、師匠の腹の虫なのでした。自分の空腹を我慢して弟子の啓十郎にご飯を食べさせてくれた師匠は『みみずだって乾かしてきざめば地龍という薬になる。自然界のものはすべて薬になる。私も腹の虫を育ててみようと思ったのさ』と笑った。このことから啓十郎は志を高く持ち東洋医学を信奉する決意をしたといいます。

現在飽食の世の中で、腹の虫が鳴かなくなったらアレルギーが増えた、ともいわれています。これは私論ですが、啓十郎の学んだ東洋医学の心こそ、現代病を治す秘策なのかもしれませんね」。

日本の伝統文化である講談と漢方とを融合させ、国内ではもちろん初の試みとして漢方講談を発表した神田さん。彼女の活動も啓十郎に劣らぬ純粋な情熱に満ちていた。

●問い合わせ=オフィス パパン0246・75・0881

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