ようこそ医薬・バイオ室へ:心はどこにあるのか

1999.03.10 42号 6面

「心はどこにあるか」。

こんな質問をすると、多くの人は「脳」と答え、ある人は「胸」と答えるであろう。行動や情緒の指令や「自分らしさ」を発揮しているのは「脳」であると考えるのが普通であろう。

昨年(一九九八年)のいま頃、NHK教育テレビの「人間大学」で多田富雄東大名誉教授が「免疫・自己と非自己の科学」という講義をしていた。そのテキストの表紙に、ウズラの羽を持った二羽のヒヨコの写真が載っている。有名な研究なので紹介すると、愛媛大の絹谷博士らは、受精後四~五日のニワトリの胚を使って、その神経管の一部をウズラの神経管と取り換えるという実験を行った。そして生まれたのが写真に載っていた黒色のウズラの羽を持ったヒヨコである。しかし、この“キメラヒヨコ”は長く生きられず、二週間から二カ月で死んでしまった。これは、ニワトリの免疫系によって、異種であるウズラの神経系が攻撃されて排除されたからである。

多田名誉教授は、免疫とは「『自己』と『非自己』を認識して、『非自己』を排除するシステム」と簡潔に定義している。つまり、そのヒヨコにとって、生まれる前から一緒だったウズラの細胞をしっかり「非自己」と認識したことになる。

さらに、絹谷博士らは、今度はニワトリの脳をウズラの脳に取り換えるという荒技というか、神業というか、神をも恐れぬというか、ショッキングな実験を行った。生まれたヒヨコは黒い頭を持つキメラで、脳がウズラなので鳴き方もしぐさもすっかりウズラのものであった。しかし、このウズラの行動様式を持ったヒヨコも数週間ですべて死んでしまった。先と同じように、ニワトリの免疫系が、ウズラの脳を「非自己」と認識して攻撃し、脳を破壊してしまったのである。

「自分」を決定している「心」は脳にあるはずなのに、ニワトリの「身体」がその「脳」を「自分」ではないと排除してしまったのは、どういうことなのであろうか。

実は、免疫学的にこの現象はきれいに説明できる。簡単に言うと、免疫にかかわる細胞は骨髄で作られるが、その一部の幹細胞が心臓の横にある胸腺に行き、そこで分裂・増殖する。そして、胸腺で成熟していく過程で、自分の成分と反応して攻撃する細胞はことごとく自殺し、自分の成分とは反応しない細胞のみが生き残ってT細胞として血流に乗る。ここで生き残るT細胞は五%以下といわれ、このT細胞が「非自己」を認識して、攻撃の武器である抗体を作るB細胞に攻撃命令を出す司令塔の役目を負っている。

つまり、免疫では体を構成する成分、もっと細かく言うと胸腺にあった情報(成分)が「自己」であって、それ以外は「非自己」とT細胞は認識するのである。ここで、T細胞が認識するのは細胞表面にある糖鎖やタンパク質などである。

どうも免疫の世界では、「自分」は「胸」にあるらしい。二十歳を過ぎると、この胸腺がだんだん脂肪化して衰えてくるので、胸腺での教育がうまくいかずに、自分の細胞を間違って攻撃してしまうリューマチなどの自己免疫疾患が増えてくるのである。

このように、「自分」を規定しているのは「脳」だけではなく、「胸」でもあるわけで、「心技体」そろって初めて「自分らしさ」を構成していることに改めて気づくのである。

それにしても、妻にはこのヒヨコの実験がかなりショックだったらしく、「何すんねん、かわいそうやんか」と怒っていた。免疫学の歴史はこの「何すんねん」の繰り返しで、種痘を発見したジェンナーも牛痘の膿を子供に接種して、世間から「何すんねん」と随分非難されている。

(新エネルギー・産業技術総合開発機構 高橋 清)

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