「百歳元気」宮沢賢治生誕100年に思う
今年の大きな話題のひとつに宮沢賢治生誕一〇〇年というのがあった。この話を聞いてまず感じたのは、「そうか、宮沢賢治はあのきんさん・ぎんさんより年下だったのか。もし小さい頃にどこかの道ばたで出会っていたら、おネエちゃんとボクだったんだな……」という奇妙な感概だった。
物質豊かな時代にあって、ニコニコととびきり元気な笑顔をふりまくきんさん・ぎんさんたちは、これからこの国が迎える高齢化社会イメージの、明るいホシのように見える。だからまさに、現代社会の象徴的存在のひとつのように思っていた。
対して宮沢賢治。農業の改良のため、農民の生活改善のため奉仕労働に明け暮れ、それによって重ねた過労と栄養失調がもとで肺炎を引き起こし、働き盛りの入り口の三八歳の若さで生涯を閉じた物故作家は、はるかむかしの人と思っていたのは、大きなカン違いだったのだ。つまり、宮沢賢治が生きた貧困と食の乏しさから生まれる病魔の時代も、それをかいくぐって百歳を超える長寿者として生きている現代人がいるくらい、すぐちょっと前のことだったわけだ。
肺炎や結核、伝染病といった病気が多くの人を死に至らしめた時代は去ったが、一方で現代は豊か過ぎる生活や食習慣が招いた現代病がまん延している。それでも宮沢賢治存命の時代より確かに平均寿命は延び、百歳以上の高齢者は七〇〇〇人を超えている。
これからはそうした寿命や人数といった数字だけでなく、長生き生活の内容が問われる時代となってくる。寝たきりの長命では意味がない。今年生まれた赤ん坊が生誕一〇〇年を迎える時、きんさん・ぎんさんのような明るい笑顔の高齢者が実に当たり前の時代であることを願いたい。(空)