元気インタビュー 雪印乳業相談役・佐藤貢氏 ミミズが恩人
「長寿の秘訣は食べ物に気を使うこと。私は牛乳を毎日二合欠かさず飲みます。朝はエリザベス女王のマネをしてずっと食べ続けているオートミールにタップリかけてね」‐‐日本の酪農振興と乳業界発展の普及に大きく貢献した、雪印乳業相談役の佐藤貢(さとう・みつぐ)氏は、この春、白寿を迎えた。血色のいい肌の色、シャッキリ伸びた背筋、しっかりした記憶力と話しぶりは、とても百歳間近とは思えないお元気さだ。
◆女王様のマネ
この年代の方で朝食の定番がオートミールだなんて日本人、ほかにはあり得ないのではないだろうか。何というハイカラなスタイル。実に文化の香りがする。
「いえ、僕は二〇歳前後の学生の頃、アメリカで生活したもので。向こうでは必ず朝はオートミールを食べるんです。その頃、非常に好きになりました」
さらにオートミールに魅かれていったエピソードに茶目っ気がある。「イギリスのエリザベス女王の子供時代の話です。朝食の時間になると必ず姿が見えなくなってしまう。それでおつきの人たちが必死になって探したところ、宮殿をこっそり抜け出して農家にオートミールを食べに行ってたんですね。僕はこの話を新聞で読んで、前よりもオートミールが好きになったんです」
アメリカ留学時代から始まった習慣だから、佐藤氏の朝食オートミール歴はもう七〇年に及ぶ。「日本に帰ってきてからが大変だった。日本にはオートミールなんてないから。そこで私が非常に親しくしていただいていた札幌の加工食品工場の人に頼んでウチの農場の燕麦を精製して作ってもらった。その後、国内で市販されるようになるまでね」
何というこだわりぶりだろう。それでは日本人初の筋金入り朝食オートミール党は、どのような食べ方をしているのか教えていただきたくて、「牛乳と砂糖をどのくらい入れるんですか?」と質問したところ、「砂糖は入れません。砂糖(佐藤)はここにある」と、ジョークを飛ばす。
◆はだしで配達
牛乳は朝食だけでなく、昼食時も、夕方、お茶代わりに飲む分も合わせて、一日二合を欠かさないという。「子供の頃、母がご飯に牛乳を入れて炊いてくれたことが親しむようになったキッカケでしょうか。自分が飲むだけでなく、遠くの町の家へ毎朝、牛乳配達をさせられたこともありましたよ、一〇歳の頃かな」
はだしで畑を歩いて身体を鍛えろと言っていた父親が、ある日突然、今度は「どうだ、はだしで牛乳配達をやらないか」と命令した。それで、毎朝3時に起きて自分の手でさげて牛乳を配達する毎日が始まる。お得意様は一〇軒くらい。
「配達が終わると牛乳の空き缶をぶらさげて学校へ行きます。放課後、そのまま牧場に牛乳をもらいに行くんです。それで家へ帰って、自分で湧かしてびん詰して冷却する。それをまた翌朝配達するんですね」
一〇歳の少年の重労働を、両親が手伝ってくれたのは一回だけ。「でもそれで身体が鍛えられましたから」。それがその後、剣道をすることなどにつながった。剣道は連盟の会長を長く務めたほどの腕前だ。「若い時、身体を鍛えたことが年取ったいま、役に立っていると思いますよ」
◆ミミズが恩人
丈夫な身体で通している佐藤氏だが、実は小学生の頃、一度、死ぬか生きるかを体験している。昼休みに友だちと夢中で遊んでいて正面衝突し、倒れた。汗が水をかけられたように出てきて動けない。医者は急性肋膜炎だと診断した。病いに臥す日々が続く中で、病状はしだいに悪化。肺炎を引き起こし、母親は医者から「もう見込みはありません」と引導を渡された。
「それがね、不思議な話なんです。医者が母にもうダメだと告げて帰った後、近所に住んでいたリューマチ症の八〇過ぎのおじいさんが現われた。手には生きたミミズがいっぱい入った大きなコップを持っているんです。それまで家に来たこともない、親しくもない人なんですよ。それで私が寝ている枕元で、これをすぐ煎じて飲ませなさいと言っている。僕はそれを聞いていました」
「母は大きな湯飲み茶碗にいっぱいに入れてすぐ、僕の所に持ってきた。飲みにくいだろうけど、我慢して飲んでごらん、と言うんです。僕は飲みましたよ、思い切っていっぺんにね。これで命が助かるならという思いだった。そうしたらその夜、毎晩胸が苦しくて眠れないのが、どういうわけかすごく楽になった。翌朝、体温を計ってくれた母は、貢、平熱だよ!と言って大喜びしたんです」
本当に、何とも不思議としか言えない話だ。やはり後に大成する人は、子供の頃から強運を持っているということだろうか。
◆今も読書を…
現在の佐藤氏の一日は、気ままなスケジュールながら、結構多忙だ。業界指導の仕事はあるし、何よりも氏自身の好奇心、向学心に際限がないからだ。「起床の時間は気まま。8時に起きることもあるし、9時、10時の時もある。その代わり夜は12時前に寝たことはありませんね」
夜中に新聞や雑誌を読んだり、手紙を書いたり。現在は白寿のお祝いがたくさん届けられたので、その礼状書きに忙しい。部屋にはいくつもの蔵書、机の上には「英国の冬の旅」(川端順道著)などの愛読書が置かれている。知的に豊かに百歳人生まであと一年。百歳のお誕生日にはまた、それ以降の生活の抱負をうかがいにあがりたい。
一八九八年2月14日生まれ。北海道帝国大学農学部卒業後、アメリカ、オハイオ州立大学農科大学に留学。帰国後、自身で開設した自助園牧場を経て、北海道製酪農販売組合入社。北海道興農公社専務取締役、北海道酪農協同(株)取締役会長などを歴任後、五〇~六三年まで雪印乳業(株)の取締役社長。現在は同相談役。北海道剣道連盟会長も務めた。