フードコート特集 和風ファストフードFC、発展へのきっかけを
一昨年の暮れあたりから、関西ではおなじみのたこ焼きが首都圏で話題になった。いくつかのチェーンが首都圏の繁華街で隣接するような出店を行い、テレビでも取りあげられ、一種のブームのような景観を呈した。この前後、東上にあたってFC(フランチャイズチェーン)を始める企業、たとえばホワイトリバーコーポレーション(店名「白川」)などが現れている。このブームをキッカケに和風ファストフードのマーケットが広がれば幸いだが、過去の推移をみると楽観はできない。
和風ファストフードには、お好み焼き、たこ焼き、たい焼き・今川焼き・大判焼き、焼きそばなどが含まれる。最近では、いか焼きを主力商品にした「いか花亭」、あるいはたこ焼きのたこの代わりにアサリを入れた「あさりちゃん本舗」といったチェーンもFC展開を始めており、対象商品も幅を広げようとしている。また、業態としても、テークアウト中心の店、イートインを強調した店、宅配中心の店、移動販売車による営業など、さまざまな形態がある。
和風ファストフードのFCは、歴史としては古い業態の一つといえる。一九六八年(昭和43年)にはヒロセチェーン(種清商事)がお好み焼き店をFC展開しているし、ハイコックやたいんばーがーは七二年にFCをスタートさせているほどだからである。また、七五年~八五年にかけては一三社がこの分野に参入している。しかし、長続きしなかったチェーンも多く、統計からみると店舗数は全チェーン合わせても五〇〇店以下、売上高も一〇〇億円以下の状態がずっと続いていた。現状でも、店舗数は全部で一〇〇〇店舗強、売上高は二四三億円にすぎない。はっきり言って、ラーメンの「どさん子」チェーン一社にも及ばない規模でしかない。
和風ファストフードがなぜこのような小さな市場しか形成できなかったのか、その要因を考えてみたい。
その第一は、ハンバーガーのように“食事”にもなるような位置づけがなされなかったこと。ちょっとした“おやつ的な食べ物”に甘んじていたことであろう。お好み焼きはハンバーガーと同じような位置づけができたはずだが、店づくり、提供方法、メニュー構成(飲物などとのセッティング)、価格設定、立地戦略、人材活用(マニュアルや教育訓練によるパートの戦力化)など、どれをとってもハンバーガーが実践してきた経営戦略とはかけ離れている。
第二の要因は、チェーン化を進める上で、一店の経営規模を生業レベルから脱するだけの大きさにできなかったことであろう。いくつかのチェーンではある程度の経営規模を形づくっているが、それらはショッピングセンターなど大きな商業集積に出店したケースである。商業集積はそう数が多いわけではないし、そういう好立地は大手流通企業の子会社(たとえば「チェポ」など)が直営チェーンの展開で占拠しているから、FC店が入り込む余地は少ない。こうした事情から、和風ファストフードFCにとって、一店当たりの経営規模を大きくすることはかなり難しかったことは確かである。
ついでに投資と収益を見てみると、小型の独立型店舗でテークアウトを主とする「ぽたじゅう」では、投資が八五〇万円、平均月商が一五〇万円、粗利益が六〇%、営業利益が二四%。投下資本回転率は二回転といったところだ。他のチェーンでも、月商は三〇〇~四〇〇万円(これらのチェーンでも投下資本回転率は二回転前後)といったレベルである。
このようにパッとしない和風ファストフード業界ではあったが、九〇年代に入って新規参入が再び目立ってきた。ここ五年間で新たに八社がFC展開を始めている。こうした中で注目したいのは、宅配といった新しい業態に挑戦している企業(たとえば「KEI太」など)があることだ。また、これはファストフードという範疇からははずれるが、ファミリーを対象にしたお好み焼きレストランでチェーン化を進めているところもある(たとえば「どんどん亭」など)。お好み焼きというと、若者や大人の集まるところ、お酒も出してワイワイ騒ぐところというイメージだったが、ファミリーを取り込むことによって新しい客層を開拓し始めたのである。これらの業態は、概して従来の和風ファストフード店より経営規模が大きい。生業レベルを脱するという意味でも、和風ファストフード業界に活気をもたらす可能性がある。