弁当屋のこだわり立ち食いそば店 「がんぎ」 へぎそばの味を東京に

1995.12.04 90号 15面

仕出し弁当の製造販売をする(株)い和多(東京都中央区、03・3667・9930)の岩田東一社長=写真=が「故郷、新潟十日町の『へぎそば』を東京に紹介したい」との一念から越後十日町そば「がんぎ」一号店を中央区新川にオープンしたのは一九九二年。その後、年一店舗ペースで出店、この11月には港区三田に四号店をオープンしたばかりである。

「新潟でへぎそばをそばと思って育ったために、東京にはうまいそば屋がないと常々思っていた。やっぱりそばは『へぎそば』。がんぎのそばはへぎそばの製造工程にそってそば粉一〇〇%でつなぎはふのりのみの自社製麺。これを注文ごとにゆでるので独特のこしの強さ、歯ざわり、のどごし、風味がある。つゆも店で朝夕二回、鰹節と宗田節でだしを取って某メーカーと共同開発したオリジナルのかえしと合わせる。十日町のそばをできるだけたくさんの方にと価格はなるべく安く(がんぎそば四五〇円)、しかも女性にも食べていただきたい」(社長)とこだわってできたのが一号店である。

器もしっとり落ち着いた益子焼きを使っている。夕方5時からは新潟の酒蔵から取り寄せた地酒(四〇〇円・五〇〇円、十数種、一部定番だが入れ替えあり)と新潟ならではの「いかの沖漬け」や「じゅんさい酢の物」(各二〇〇円)などのつまみも揃える。「そば通はもち論、店内の高級感を高めて若い女性の一人客もとりこもう」と、自然木をふんだんに使った店内にぼんぼりのように丸い照明が柔らかい雰囲気を醸し出す。

店内も厨房も清潔が第一で、「大勢に食べていただくためにはファストフードの延長スタイルが一番。しかし、早い・うまい・安いは当たり前の時代。プラス本物・清潔で気持ちよくが店のコンセプトの柱」(社長)

弁当屋がなぜこだわりそば屋なのか。話はバブルのころにさかのぼる。

「3K職種を嫌って人が集まらず、デリバリーが難しい時期がありました。アジア系外人を使ったり、既存の宅配業社に委託をしたりして凌いだ会社もありました。その時に以前からずっと温めていたそば屋と弁当が必然的に結びつきました」(社長)

このもくろみは大当たり。こだわりそば屋で本業である日替わりの宅配用弁当をテークアウトで置いたところ、当初一日店舗で二五〇個売れた。これはほぼ宅配の車一台分の売上げ。午前8時から午後7時半まで営業しているそば店に置くだけなので、車もドライバーもいらない。売上構成は弁当、昼のそば、午後5時からの酒とつまみがそれぞれ三分の一で、日商一五坪で二六万~三〇万円を売り上げる店づくりに成功した。

いわば素人のそば屋だがそばの味はクチコミで確実にファンを広げ、某テレビ局のビッグスペシャルうまい店の「そば部門」でプロの味を退け優勝の栄誉に輝いた。へぎそばを東京で復活させてプロの仲間入りを果たした。

がんぎは現在、今後のFC展開を目指して四店舗で立地や設計などさまざまな実験を行っている。うまいへぎそばをもっと大衆に広めたいと夢が広がる一方で、イタリアの生パスタマシーンでそばを作れないかと研究中でもある。い和多は創業三〇周年を迎え、弁当屋の「そば屋」を二一世紀に向けてスクスクと育てている。

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