トップインタビュー 中国料理の門戸広げる「菜譜会」会長・田端逸夫氏
‐‐中国料理人の親善団体「菜譜会」を発足させたと聞きます。目的は何ですか。
田端 中国料理の門戸を広げ若者の育成を目的としています。菜譜会結成のきっかけは私が調理師専門学校の講師をしていた頃にさかのぼります。当時は中国料理の専攻希望者が少なく、入学しても目的意識のない学生が多く幻滅しました。ある時卒業生の身の振り方を調査したところ、二割弱しか料理に関わる仕事についていない事実を知りました。これは他の専攻、また他の専門学校に比較して圧倒的に低い数字です。料理にかかわっている卒業生にしても、入店した経営者や先輩の料理人次第で立場がまったく異なっている。
中国料理業界は、目ざすべき道筋が非常に複雑で、いくらやる気があっても成功するのはごくわずかなのです。これでは若者が育つのは難しい。若者の成長を助け、業界の発展を導くためには、われわれのような受け皿側が解決策を見いだすべきだと考えました。悩みを聞く相談役として、就職の窓口として若手育成に貢献するため中堅の料理人と店舗経営者で「菜譜会」を結成したのです。
‐‐本来そういった役割は専門学校が担うべきだと思うが。
田端 私見ですが現状では難しいと思います。講師陣には優秀な人材が揃っているが、学校経営が先走っているきらいがあります。とにかく生徒を多く取り過ぎです。これではある程度は料理人として形を整えることができても磨くことができません。また、誰でも入学させてしまう悪しき慣例も改善すべきです。
学力が問題というわけではありません。志願者の目的意識を重視して、本当にやる気のある子を入学させ、しっかりと面倒見るべきなのです。たった一年で取得できる調理師免許制度も技術向上の足かせになっていると思います。
現行の制度では、簡単過ぎて料理人の看板として機能していません。専門学校が料理人志願者の面倒をすべて引き受けろとはいいません。ですがわれわれのような現場サイドも若者を何とか育てようと動き始めているのです。専門学校側もそういったマインドをさらに強めて欲しいですね。
‐‐そのようなマインドを高めるためには日中調((社)日本中国料理調理士会)が先頭に立つべきだと思うのですが。
田端 もちろんその通りです。日中調の活動理念でも若者を育てることは重要視されています。事実、各種セミナーやコンテストなどで若者を育てた功績は大きいと思います。ですが日中調は全国組織で、その会員数は数万人に達しています。今後も業界をリードする役割に変わりはありませんが、大きな組織であるだけに末端には目の行き届かない部分があるかもしれません。
末端とはすなわち若者です。菜譜会はそうした末端の部分をケアする役割を果たしたいのです。中国料理人志願者と直に接してアドバイスすることはまだあまり前例がありません。菜譜会はあくまでも若者を育てるという位置付けで活動を進める方針です。
‐‐菜譜会の組織概要を聞かせて下さい。
田端 昨年の9月に結成して、現在会員数は二〇〇人に達するところです。会員は一〇年以上の中堅クラスの料理人と店舗経営者で構成しています。また賛助会員としてメーカー、卸売業者が合わせて一〇社加わっています。幹事二〇人が月に一度の定例会を開き今後の活動について検討しています。
‐‐具体的にどのような活動を考えているのですか。
田端 若者を対象とした料理講習会は二ヵ月一度のペースで実施する予定です。内容は基礎から応用に至るまですべての技術講習を段階的に展開する方針です。そして講習の場が若者同士の情報交換の場となることを願っています。また菜譜会のメンバーの厨房を順次開放し、若者が他店の厨房作業を見学できるようにするつもりです。若い調理人を菜譜会のメンバー同士で一定期間交歓し、若者の技術や知識の向上を促す交歓実習も考えています。
就職の窓口については担当者を設置し、メンバーの店舗経営者のパイプを通じてあっせんして行くつもりです。知名度のある料理人を招いてのセミナーなども企画しています。前回は四川飯店の陳健一氏にお願いしたのですが、彼らのような著名人に会わせることは、若者の将来の夢を大きくするきっかけとなります。まだ荒削りですが、若者が料理一途に取り組める環境作りを念頭において活動を進めたいと考えています。
‐‐菜譜会の入会希望者に一言お願いします。
田端 菜譜会はまだ曖昧な部分が多い団体です。“若者を育てる”という信念のある方なら大歓迎です。そして入ってから自発的に活動内容を提案していただければと思います。
われわれは菜譜会を立ち上げただけに過ぎず、今後に入会する料理人とともに活動を活発化したいと考えています。過去に、各方面で発足したような封健的団体ではありません。業界発展を願う同志の窓口として参加していただきたいと思います。菜譜会の活動はこれからが本番です。
‐‐今後の活躍を期待します。ありがとうございました。
昭和23年静岡県伊東市生まれ。昭和42年横須賀調理師学校卒業後、「銀座月の瀬」(コックドール)入社。その後、「富士観光会館」で大城宏喜氏(現・(社)日本中国料理調理士会会長)に師事。以後、「港六飯店」「泰葉林」などを経て横須賀調理学校講師に就任。昭和57年、神奈川県藤沢市にオーナーとして中国料理店「鹿鳴春」をオープン、現在に至る。専門学校講師時代に調理師業界における若手育成の問題点を痛感。以後、問題を克服するための旗手として親善団体「菜譜会」を立ち上げる。オーナー料理人として、団体の長として、休む間もなく東奔西走する毎日だ。(文責・岡安)
「菜譜会」=平成6年9月、中堅クラス以上の中国料理人で若手の育成活動を目的に結成。会員数約二〇〇人。主な会員は会長の田端逸夫氏をはじめ、東京・世田谷「吉華」の久田大吉氏、東京・八重洲「唐人飯店」の飯塚政実氏など。