エロスの贈り物 映画監督・河崎義祐 色気の妙薬
エロスと聞けば、すぐ性愛に結びつける人も多いが、本来エロスとは天が人間に与えた官能のこと。視る、聴く、味わう、嗅ぐ、触わるの五つの感覚をフル稼動させて、官能の喜びをもっと享受しませんかと言うのが、私の本音なんです。さて第一回は色気のお話。
映画の撮影現場でハタと困ったことがあった。若手の女優に色気のある芝居を要求した時だった。女優も真剣な態度で色気を出そうとするが、さっぱり出ない。昔の女形出身の監督が、新人女優に手とり足とり「形」で色気を教えた話は知っていたが、いざ自分で色気を演出しようとすると手も足も出ない。色気とはポーズや流し目で簡単に表現できるシロモノではなかった。
一体「色気」とはなんだろう? 女性が裸を見せれば色気は出るか、ノーである。素足でユカタ姿の方が色っぽい風情がある。美しい女はすべて色気があるとかいえば、それもノーである。たとえ美形でなくても、妖しい色気を漂わせたイイ女は存在する。馴れないお酒にほんのり酔って、川風におくれ毛をなぶらせて、うるんだ瞳で振り返った時など、男はゾクッと色気を感じるものである。
「色気」とは女性だけのものか? いや、男だって色気のある人もいる。年輪を重ねた男の艶ぽさは男の魅力の条件の一つだろう。
「色気」とは出そうとして出るものではないが、急に出始める時がある。ある時急に色気が出始めた女優を注目してみると、ひそかに恋が始まっていた。当世流行の不倫の恋、忍べば忍ぶほど女優の全身はピンク色に染まる。だが恋が実り、恋が終わると色気は消えて、女優はまるで“出しガラ”みたいになった。この辺に色気のナゾを解く鍵があるらしい。
英語のスラングに“ホーニー”がある。“感じちゃった、お願いしたい気分だぜ”という時に“アイ・フィル・ホーニー”と使う便利な言葉らしい。日本語にも「お前に惚れた、ホの字だよ」という名文句がある。ホの字を考えているうちに、パッとひらめいた。色気とはつまりホの字、「発情のけはい」なんだ。女は男に、男は女に発情のけはいを感じて、「色気」というオーラを発散するんだと。
それ以来、私は色気のない女優に会うと、「恋をしろ、いい恋を。ただし悪い男にひっかかるな」と忠告する。しばらくすると女優の演技力がグンとつき色気も出始める。「あ、恋が始まったな」。私の予測通りマスコミが騒ぎ始める。ここで女優として人生が大きく二つに別れる。スキャンダルの波に溺れて、出しガラになり、色気もないただの女になって消え去る場合と、恋から色気の妙薬を吸いあげて、大女優への階段を昇りだす場合と。
スターと呼ばれる大女優の生涯を検証してみても男の喰い方が見事である。恋を重ねるごとに演技力を磨き、七○歳をこえてなおみずみずしい色気を感じさせる大女優の存在は尊敬に値する。
思わず振り返りたくなる女――別れたあといつまでも心に残る男――女にとっても男にとっても「色気の妙薬」とは恋する気分で生き続けること。エロスの贈り物を享受して、死ぬまでセクシーに生きたいと、私は切実に思っている。