らいらっく人生学 エッセイスト・富永春雄:脱サラで自宅ディーリングルーム

1999.08.10 47号 11面

資産運営の続きで、最近、復調目覚ましい株式投資についての観察をしたい。

これは、ビジネス街の大型書店などにしか置いていないが、横積みされた“週間日足集”のたぐいがこの数カ月、号を追うごとに“山”を高くしており、個人投資家が市場に戻って来た気配が感じられる。証券会社の営業マンに聞いても、“客稼働率”(顧客口座に対する利用度の%)が、バブル時のピークを越えることがあるという。

周囲で「今年はすでに三〇〇万円もうかった」とか「持ち株に五〇〇万円の含みがある」とか、景気のいい話が多い。それはそうだろう。たとえばNTTドコモの公開株を引き当てて、そのまま持っていれば、その程度の利益は確保できる。

もっとも、古稀を過ぎたばかりの先輩Y氏のように、バブルの山を上り下りして「もう根こそぎやられた。証券欄を見るのもいやだ」というのも、決して珍しくない。

◇ ◇ ◇

資産の含みが増えれば、おのずと消費が伸び、景気に薄日が射してくると思われるが、一方では企業は生き残りを賭けて懸命なリストラの進行中で、サラリーマンたるもの、なにかと居心地が悪い。そこで、脱サラを夢想する。

不況真っ只中の建設業界大手の管理職N氏、定年に五年を残し、優秀な人材と目されているから、まず整理の対象になる気遣いはない。それでも、

「あと二年で役職定年、運がよければ先のポストに進めるが、大方は窓際なんです。そのときはきっぱり会社を辞め、自宅にディーリング・ルームを作って、株の売買で生計を立てるつもり。これでなかなかパフォーマンス良好なんですよ」

という。冗談か……と問うと、考えたすえの将来設計だと夢を膨らませている。なんだか危ない気もするが、アメリカあたりでは、はやりのライフスタイルだと聞く。

◇ ◇ ◇

相場師が最後まで勝ち進んで、全うするケースは稀だろう。調子がよければ、つい欲を出し投資額を拡大したところで、再起不能の打撃をうける。調子が悪くなると、取り戻そうと深追いして傷口を広げてしまう。投機ではなく、会社の業績を長期的な目で確かめて本当の意味での投資を……などというきれいごとが通用しないのがこの世界である。

筆者の知己のうち、唯一の成功者であるM氏は、バブルの五合目あたりのころ、早期退職制度に乗って会社を辞め、退職金のほとんどを株につぎ込んだ。やがて株価が史上最高値を更新してしばらくのち、すべて売り払った。

「実のところ、相場観があったわけではなかった。ただ退職金があっという間に倍になってね。こんなことがあってはならん、とそら恐ろしくなって、以後、証券投資には一切、手を出していない」

のちに、担当の老練な証券マンは、「後にも先にも、こんな成功例に巡り合ったことはない。無欲の勝利か……」と慨嘆したという。

N氏のディーリング・ルームの成功を祈るばかりだが、N氏にM氏の“無心”ありや否や。

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