元気インタビュー エッセイスト・古波蔵保好氏 男ひとり暮らしのダンディズム
社会、文化、映画、ファッション、食べ物……と、毎日新聞論説委員時代から幅広い分野の評論に定評があり、定年退社後もエッセイストとして活躍中の古波蔵保好氏。
一昨年出版した「老いの教訓」には、九年前、夫人である服飾評論家、鯨岡阿美子氏を亡くされて以来の、軽妙酒脱な男ひとり暮らしの日常がある。粋な人生の片鱗をのぞいてみたくてひと時、氏の書斎におじゃました。
◆ゆうゆうの“夜型人生”
蔵書でギッシリと埋めつくした壁を、ティファニーランプのほのかな灯りが照らし出す。棚に並ぶのは舶来物の缶入りタバコ。著書の主たる舞台となっている氏の自宅の書斎兼応接間だ。まずはこのごろの生活スケジュールから、お話をうかがう。
「これが自分でもあきれてしまうような話なんですが、僕は大変な夜型人間で朝がものすごくゆっくりなんですね。寝るのが大体、夜の3時頃、それで起きるのが昼の12時頃。世間一般ではトシをとるにつれ早起きになり、大きな音をたてて家族の者が迷惑するという話も多いのにね。僕の場合は、もうそろそろ休みましょうと促す妻がいなくなってから余計に、読んでいた本を閉じたり、きょうの分の原稿に筆をおく時間が遅くなりました」
夜型人間はいまに始まったことでなく、記者時代から親しんでいる長い習慣だという。「論説委員の頃はね、昼の1時頃ゆうゆうと出社。そうするとね、きょうの社説は何にしようかと議論をして、このテーマなら古波蔵だともうみんなが決めて待っているんです。それから三時間くらい集中して一気に書くというパターンでしたね」
◆7店順ぐりグルメ夕食
一日の時間を全く自分の好きなように割りふれる現在の日程は、この時代と比べてもかなり優雅だ。「ブランチとしてミルクティーと薄切りトーストを二枚。ハムかチーズか、大好物のキャビアもあれば、それも一緒にいただきます」
夕食は基本的に信頼できる店での外食主義。これは、キャリアウーマンの先駆け的存在であった夫人が健在の頃からの定番のスタイルだ。その頃は夫婦二人で仲良く、現在は友人と連れだって行くことも多いという、ひいきの店のリストはキッカリ七軒ある。一週間、毎日違う料理が楽しめる計算だ。内容は、日本料理店が一、フランス料理店が二、中華料理店が二、うなぎ屋が一、天ぷら店が一。
「文化をつくる人間は生存のためであろうと、うまい味に仕上げてある料理を口に入れるべきだ」と著書で論じているグルメの古波蔵氏のこと、それらの店に行ってどんなメニューを注文しているのだろう。「たとえば馴染みの中華の店一軒では、エビの唐揚げ、豆腐とタケノコと大豆の上海風、ブタ肉薄切りのゆば炒めとかね。フカヒレも好きですね。洋食では絶対に肉。僕、肉食動物なんです。魚は駄目でねぇ。そのせいもあって連れ立っていく友だちはみんな年下、四〇歳代くらいの人が多いですね。味は薄味のもの。これは沖縄出身の特徴でしょうか。七軒の店を順ぐりに回るのだけれど、僕なりの考えで三日上等な食事が続いたら、次の一回は、野菜が主体のアッサリした料理を出す店と決めています」
◆雨の日は特製ステーキ
ドシャ降りの雨の日は外出がはばかられる。そんな日は、冷凍庫にあるフィレ肉をオリーブオイルで焼いたステーキを自分で作る。
「妻がいた頃、偶然、二人で見つけた京都の精肉店のフィレ肉です。それ以降、行ったら必ず二キログラムずつ持ち帰る」
どんなに空腹な時でも絶対にできないことは、街中の店で出来合いの弁当を買うことだという。これは栄養のバランスや味を考慮してというより、献立がいろいろと並んだガラスケースをのぞき込む自分の姿を想像すると、どうもいただけないという思いからのようだ。
◆自分のことは自分で…
ダンディなのである。自分のスタイルが決まっているのだ。瓢々としていて、しかも小粋。どんな心持ちでいたら、人生後半の日常生活をそんな風景に持っていけるのだろうか。
「うーん、というよりも僕は案外、モノにこだわらないんですね。ノンキなんです。だからクヨクヨしない。イライラしない。もしかしたら僕には怒るとか、あわてるとかいう神経が一本抜け落しているのかもしれない」
生き馬の目を抜くという新聞社の世界に生きて、ノンキだと自認する構えでどうやって仕事を重ねてきたのか、不思議な話。「それがね、たとえばエラい人のところへ行ってきわどい内容のことを、先生、どうなんですかなんて聞くでしょ。そうすると向こうは、いやあ君、そんなこと俺の口から言えないとなる。僕の場合は、そこで残念ですね、そうですかとか言っちゃう。そうなると向こうから、君々、そんなにアッサリしちゃイケナイよと、呼び止めてくれたりしてね」
「ひとり暮らしで不自由がないのは若い時、一七歳で親元を離れて上京してからそこそこの時間、これを経験しているからでしょう。ひとりの時間を楽しむ術を養った。それから妻にも感謝しています。僕はもともと世話女房というのがダメなんですね。幸い三三年間連れ沿った妻は、外でイキイキと仕事をする女性だったので良かった。結婚生活中も独りで生きているみたいに、自分のことを自分で始末する日々を送ってきたからね」
◆ツキアイは“年下の友”
著作にもその話しぶりにも、大の愛妻家であったことがうかがわれる。三〇年以上の時間、ずっと二人で聞きに行っていたオペラの切符は、「習慣で」いまも二枚買ってしまう。左は空席になるが。親しい人を誘うこともあるが、「これはぜひ彼女に聞かせたかった」と思う曲目が上演される場合は必ずひとりで行く。
「あなたはちっとも兄貴風を吹かせないところがいいと、うんと年下の友だちに言われます。友だちが若いというのはいいですよ。つき合っている時、僕が見ているのは自分の顔でなく彼らの若い顔だから。心理面を若々しく保つのに随分協力してもらっていると思います」
「物事にこだわらない」という。その一方で「好きなことしかやってないから」という。語り口はあくまで穏やか。笑顔には何ともいえない親しみやすさがある。結局、自分のことをとことんよく知っている人なのだろう。だからこそ、他者に対する思いやりが生まれ、いくつになっても人が集まって楽しい日々が続いていく。願わくば、そんな余裕の人生をマネしてみたいものだ。
一〇年3月23日、沖縄県生まれ。東京外国語学校(現東京外大)印度語科中退。三一年沖縄日報、四一年から毎日新聞(はじめ那覇支局、のちに東京本社社会部)の記者となり、五六年から同新聞論説委員。
六五年に定年退社後は、評論家、エッセイストとして活躍。「沖縄物語」で昭和五六年度日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。文筆以外でも第一回MFUベストドレッサー賞を受賞するなど、幅広い分野で評価が高い。