百歳さんこんにちは:岐阜県・吉野幸作さん(100歳)
岐阜県下呂市の吉野幸作さん(100歳)は、毎週金曜日に市内のボウリング場に通う。「趣味も仕事」という性格で、“手抜き”をせずに15年間ボウリングを続け、日本ボウリング場協会から長寿ボウラーの「横綱」認定を受けている。
◆85歳で始めたボウリング
「質素で、粗食が良い」が生活のモットー。本家を継いで「十何代目になるかな」という幸作さんは、これまで農業一筋で働いてきた。
その幸作さんがボウリングの魅力に取りつかれたのは、孫の操さんの影響による。操さんは高山市のボウリング場での成績が評価されてプロをめざすよう勧められ、プロテストを受けることに。その応援に付き添ったのがきっかけだ。85歳で始めたボウリングだったが、何でも一途になる性格。すぐに腕をあげ、90歳までにアベレージ150点台、ハイゲーム190点を出した。「百歳になったいまは体力も落ちて、100点ぐらいですよ」と笑う。
操さんは、幸作さんの励ましも通じたのだろう、1999年にプロテストに合格した。
◆明るいお嫁さんと2人暮らし
幸作さんは本家の8人きょうだいの長男として生まれた。27歳で結婚。妻のヤイさんは3年前、94歳で他界した。「結婚した頃が一番楽しかった」と振り返る。ヤイさんとの間に子どもを8人授かった。「娘は亡くなり、他の子どもたちは独立しています。この町(飛騨小坂)も過疎化が進んでいます」と少し寂しそうだ。
現在は長男(他界)の妻の美代子さん(70歳)との2人暮らし。美代子さんは明るい性格で、思ったことを腹蔵なく口にする。「いつも2人で言い合っています」と美代子さんは笑顔で語る。舅と嫁という間柄ではなく、実の父娘のような会話。言い合っているというより、励まし合っているように聞こえる。
幸作さんは人一倍働き、人のためにも尽くしてきた。周囲は信頼感をこめて“鉄人”と呼んでいる。「じっとしていられない性格」で、美代子さんがブレーキ役になっている。「感謝している」と幸作さん。「お互いに干渉せず、好きな趣味などをそれぞれ楽しんでいるのが円満の秘訣だと思います」という美代子さんの言葉に、幸作さんもうなずく。
◆肉と魚以外は自給自足
幸作さんにとって辛い思い出は、終戦で田畑が没収され、食料が配給制になり窮乏したこと。「とても辛かった」と実感がこもる。
いまは美代子さんと2人で農作業をしているが、収穫した米と野菜は出荷せず自家消費している。
「もう年なので、きつい作業はできず、稲の刈り取りと稲は架せ、乾燥は農協に依頼しています。米はコシヒカリを手がけたいのだけれど、稲の背が高くなるので風に弱く、病気にもかかりやすい。そこで4年前から、育てやすい早稲のひとめぼれを手がけています。8俵ほど収穫していますが、自家消費しきれないので親戚に配っています。野菜もほとんど畑で収穫したものを食卓にのせています」と説明する。「健康のためには粗食が一番」が信条だ。
ふだんの食生活も野菜が中心。冬は土中に埋めておいた大根を抜いてしょうゆで煮込んで食卓へ。肉と魚以外は自給自足だ。「都会の料理は嫌いです」(美代子さん)と、郷土の食生活を守っている。
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