忘れられぬ味(13) 伊那食品工業社長・塚越 寛 島原湾の伊勢エビ

寒天の原料は紅藻類と呼ばれる海藻ですが、大別すると天草とオゴノリに区分されます。戦後間もない頃は、日本各地の遠浅の静かな内湾でオゴノリはたくさん採れました。海の汚染が進むにしたがってだんだん採れなくなり、刺身のつまに使われるくらいだったのですが、一〇年くらい前から有明湾や、瀬戸内海でかなりの数量が採れるようになりました。多分、排水処理対策が進んで、海がきれいになったためだろうと思います。

私どもは熊本県の業者を通して有明湾のオゴノリを購入しておりましたが、現地を見学するために宇土半島へ出かけました。一九九三年の春だったと思いますが、海のない山国信州で育った私には、内外を問わず海辺に行くこと自体、ある種の期待でわくわくするのです。広々とした海、波、変化に富む海岸風景、新鮮な魚等々への期待です。

原料の開発輸入でずいぶんと海外の海岸をまわりましたが、どうも日本の海辺に期待するのと異質であったような気がいたします。それというのも、おいしい刺身の有無が原因で、期待が異なるのだろうと解釈していますから、私は意外と食いしんぼうなのかもしれません。

信州には海がなく、わけても私どもの住む伊那市は本州で海からいちばん遠い町かもしれません。新鮮な魚へのあこがれは、ですから大変強いものがあり、魚がよく売れる地域として全国からいろいろな鮮魚が持ち込まれるようになりました。しかしどんなに急いでも、どんな技術を使っても海から採れたての魚を食べることは不可能で、何らかの人為的な所作が加えられてしまいます。

三角から天草五橋をいくつか渡った島かげの小さな割烹旅館がその夜の宿泊所でした。島原湾へ沈む夕日をながめながらひと風呂あび、夕食。まさに私の期待通り。伊勢エビ、イカ、アワビの刺身・刺身。今まさに海からあげたのだというその新鮮さ。伊勢エビはやや赤みを帯びたものが美味で、八代湾より島原湾のものがおいしいとか。

今でもそのピンク色の伊勢エビの美しい身の色を、その何ともいえない新鮮なるが故のおいしさと一緒に想い出すのです。海の幸は信州人の永遠のあこがれなのかもしれません。

(伊那食品工業(株)社長)

日本食糧新聞の第8289号(1997年11月12日付)の紙面

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