忘れられぬ味(18)中沢乳業・中澤逸郎代表「体が震えたタケノコ」

心に残る味は子供のころの味覚で記憶するものと、成人して味わう味と二つに分かれる。

子供のころの味覚は特別なものと出会う機会がなく、日常に食べていたものが忘れられない味となり、思い出すとあのようなものがといわれるものである。

小学校の二年生くらいのころ、私は学校の校門が数十mしか離れていない所に住み、昼の鐘がなると、下駄を突っかけて、昼食を食べに帰るのである。

まだそのころ(昭和17年)は食料がそれほど不足しているほどではなかったが、昼は雑炊と決まっており、イワシの丸干に香の物ぐらいであった。家に着くや卓袱台に向かい、あつあつの雑炊をかき込み、丸干を頭からかぶり付き、適当に小腹のおさまるまでの舌と喉の通過感で、満足は言葉に出せぬ記憶がある。

それより数年を過ぎて、完全に食料不足の時代となり、学校の弁当といえば甘藷の二、三本くらいの時代が来、当時は甘藷でもよい、腹一杯食べたいと思ったものだ。

空腹をかかえた時思い出すのが、昼の休み時間に家に帰って食べた雑炊が旨いもの、腹を満たした思い出として忘れられない。

子供のころの舌の記憶、いや腹の記憶といった方がよいのではなかろうか。

戦後も三〇年を経て、食生活も落ち着いたころ、所用があり大阪へ行き、取引先に食事に誘われ京都で食べたタケノコの味は、私の食べ物に対する考え方を変えるほどショックであった。

案内を受けた場所は料亭であるが、庭の竹藪のなかであり、炉を切るように四角く掘ってあり、その真ん中にタケノコが生えている。

季節は花の便りの聞こえるころであるのに、京都の底冷えのする冷えに、下戸である私も温めるために酒をいただいた。

炉の切ってあるなかへ藁灰をつめ、タケノコを蒸し焼きにした。

頃を見計らい仲居さんがタケノコを掘り、適当に切り分け、ワサビと醤油で食べ、口に入れた時、体を突き抜けるタケノコの香りと程よい歯ごたえに体が震えるのをおぼえた。

このような味、香りがこの世に存在しているものかと、数十年が経った今でもあの味は忘れることができない。

その後、そこをもう一度訪ねてみたいと何度も思ったが、あの感激を二度目は失望したらと考え、その後はまだ訪ねていない。

(中沢乳業(株)代表取締役)

日本食糧新聞の第8663号(2000年3月17日付)の紙面

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