忘れられぬ味(45)カネク・岩田みどり代表取締役社長「柿の砂糖漬け」

農産加工 連載 2001.03.19 8820号 2面

人生にはいろいろな思い出がございます。楽しかったこと、苦しかったことなど、いろいろございます。その中で“忘れられぬ味”と申しますと、私にはどんな味があったでしょうか。いささか戸惑っております。戦後の五十余年間、廃墟と化した国土の復興と経済の再建に国を挙げて努力して参りました。そして、すべてに優先して食の確保が図られました。

その後、高度成長期に入って物が豊富になった頃から「飽食の時代」という言葉が使われるようになりました。本稿の私の想い出は、現代の世相に比べてあまりにも内容が対極的になるかも知れませんが、改めて当時のことを思い起こしております。

終戦の前年、昭和19年のことでございます。今は故人となりましたが、私には一人の兄が居りました。生来あまり丈夫な方ではなかったのですが、戦局は適齢男子の身体の強弱を云々している余裕のない程に厳しくなっておりましたのでしょう、兄にも召集令状が参りまして東京近郊の部隊に入隊致しました。そうして間もなくのある日、一日だけの休暇をもらったからと言って青梅のわが家に突然に帰って参りました。

本土決戦のかけ声の下、お国に捧げたものと覚悟を決めておりました大事な息子が、部隊が任地に向かって出動するらしく、家族と最後の別れとの帰省でした。抑圧制限された厳しい兵隊生活から一時なりとも解放された一日、夢にまで見た「おはぎ」を食べたいとの兄の切望に、母は気もそぞろに心急くまま「何かあまいものを」、と考えました。

当時は全く物のない時代でした。砂糖は無く、小豆も無く、また夕刻までの帰営となると時間の余裕もございません。その時、母がびん詰めにして非常食にとっておいたのが柿を砂糖漬けにしたものでした。当時、家業として山葵漬けを作っており、たまたま砂糖の配給が少々ございました。兄はこの唯一の甘味である柿の砂糖漬けを大喜びで食べて慌ただしく部隊に帰って行きました。その時、お相伴して食べさせてもらった私にとっても、その味は現在でも忘れられません。

味としては一素材に過ぎず、内容は単純すぎてお恥ずかしい次第ですが、他の如何なる料理にも勝る味の偲び草として心の一隅に大切に抱いております。

(カネク(株)代表取締役社長)

日本食糧新聞の第8820号(2001年3月19日付)の紙面

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