忘れられぬ味(75)スギヨ・杉野芳人会長「能登のシイラ」
「飽食」といわれる時代だからこそ、私の世代には懐かしく有難い味がある。能登に生まれた私には、能登のDNAが染み付いている。
能登半島の北端にある輪島からおよそ五〇キロメートルほど離れた日本海に舳倉島(へぐらじま)という小さな海女さんの島が浮かんでいる。五〇年前の学生時代、私の好物は、そんな輪島の海女達がはるばる米と物々交換するために七尾にまで運んでかづき売りしたシイラの味噌焼きだった。夏休みになって東京生活から離れて帰省した時、串に刺した彼女たちの手作りのこれを食べるのが私の楽しみであった。
当時の能登半島には、素朴な珍味が豊富にあった。一杯飲み屋では、味噌を塗っていろりで焼いたワカメや山椒の葉の串刺し、それに今日すっかり有名になった能登のいしる(魚醤)に漬けた漬物や、貝焼き、いしるをぶっかけて食べる刺身の味は杯を傾けるのに格別だった。いずれも能登に伝わる素朴な塩分の強い郷土食なので、あまり食すると血圧が上がってしまいそうだが、懐かしく自慢できる、潮の香と土の匂いに満ちた能登の食文化遺産といっていい。
一四年前、アメリカのシアトル近郊で「かにあしかまぼこ」の製造工場を建てた際、わが社のアメリカでの総代理店である現地の会社社長から各地のいろいろな珍しい食べ物を紹介してもらったが、その中で今なお記憶に残るものとして「焦げ目がついた馬鈴薯の皮」ばかりが皿に盛られた酒のおつまみである。私を案内した社長は「馬鈴薯の皮には栄養があってここが一番おいしい部分である」と力説していたが、日本人の感覚には不向きだと内心思った。しかしそれはともかく「ああ、これが西部開拓時代のアメリカの味覚なんだ」とも感心してつまんだのも今は懐かしい想い出である。
能登には能登の食の遺伝子、アメリカにはアメリカの食の遺伝子がちゃんとある。だからこそ、各地へ食べ歩きするのが楽しみでならない。テレビや雑誌で新しい情報に接すると、じっとしていられなくなる。今では青年時代のような強靱な胃袋は持ち合わせていないのだが、食べ物に対する好奇心と浮気心はいたって旺盛であり、未知の味へのこだわりはなかなか消えそうにない。
美味しい食べ物は時代が変わっても変わらないと思われがちだが、飽食の時代の旨さのレベルは、時とともに移り変わってゆくものかもしれない。しかし、どのような時代であろうとも「いつまでも飽きずにまた食べたくなるような食品」づくりのために夢と現実の間に心を砕きつつある今日この頃、その拠り所は、味覚に挑むチャレンジ精神とグルメを追求する心をおいてほかにない。
((株)スギヨ代表取締役会長)
日本食糧新聞の第8923号(2001年11月5日付)の紙面
※法人用電子版ユーザーは1943年以降の新聞を紙面形式でご覧いただけます。