うまいぞ!地の野菜(7)栃木県 現地ルポおもしろ野菜発見「黄金にら」
栽培始め15年
「栽培を始めていつのまにか一五年の月日がたってしまいました。始めたばかりのころは失敗の連続。毎日がニラ漬け、飽きるほど食べましたよ」と苦笑いする小泉恒雄さん(59)。毎日食べる黄ニラのおかげか小麦色に日焼けした顔に白い歯が目立つ。六人で結成する「JA那須野黄金にら部会」三代目会長を務める。
大田原市一帯はコメどころとして知られ、一人当たりの耕地面積も全国一、二位を争うほど。また青ニラの産地としても全国的に知られている。
黄ニラ栽培のきっかけは「たまたま出荷先の築地市場から、岡山が主産地だがまだそれほどに普及していないので、栃木でも栽培してみてはとのアドバイスを受けた」結果という。
さっそく「JA那須野黄金にら部会」を八人で結成、初代会長に阿久津さん、事務局長に市場開拓に奔走したJA職員の渡辺照男さんを据えスタートを切った。
光遮り1ヵ月
ニラはもともと東アジアの各地で野生していたもの。中国では紀元前後から栽培が始まったとされ、日本では「日本書紀」「古事記」「万葉集」などに記載されていることから、早くに中国から伝来したと想像される。
栽培が簡単なため家庭の庭先などで作られていたニラだが、現在では商品として市場に出回り、東京周辺地域の栃木、群馬、福島をはじめ、西日本では高知が早出し産地としてよく知られるところ。
「黄ニラは珍しい野菜として珍重されているが、特別な種や作り方をしているんじゃないんです。ただ太陽の光を遮ることで緑が淡い黄色に変わっただけのことです」
栽培方法は一般の青ニラと同じ。3月下旬に播種、定植後二ヵ月ぐらいまで株を養生、根にしっかり栄養分が行き渡ったところで株を切り、根を移植。太陽光を遮断するため黒いビニールを被せ、置くこと一ヵ月。夜目にも妖しげな黄ニラが生育する。
多彩な利用法
黒いトンネルのようなハウスの中におそるおそる潜り込むと、銀色に輝く黄ニラが整然と並んでいる。
「生でも食べられる常識を変えた野菜という思いから、名前をいろいろ考えましたが、結局『黄金にら』に落ち着きました」
繊維質が少なく、シャッキリ感があり、臭いも青ニラほど強くない。それに何といっても上品な雰囲気を醸し、サラダ、卵とじ、マヨネーズあえ、肉との相性が良いことからしゃぶしゃぶ、バーベキューなど料理のレパートリーはどんどん広げていける。
不安も抱えて
六町の耕地を有する小泉恒雄さん。三割減反のため休耕地対策として大豆、麦、黄ニラを栽培。九〇aの黄ニラ畑は、一ヵ月ずつ収穫周期をずらしながら周年収穫に成功している。
一日の出荷量は五〇~六〇ケース。毎朝収穫し、日中は奥さん、両親と一緒に箱詰めなどの調整をし保冷庫に保存、翌日朝、農協に出荷する。
「毎日の出荷はつらいですね。時には休みたいと思うが六人の会員で三〇〇ケースを出さないと市場から文句が出る。かといっていたずらに会員を増やしたのでは値崩れする。痛しかゆしです」
当初は各人割当制で出荷をしたこともあったが、出荷制限すると毎日の作業サイクルが狂い、逆に多めの出荷日が出たりする。「今では安値になっても出そうと、制限なしで出しています」と、全体の数量のバランスを図っている。
会員のほとんどが六〇歳以上。後継者不足もさることながら、現在、トップを切る岡山に続く二位の地位を保つが、今後、競合する他産地出現に戦々恐々のようだ。
■生産者名=JA那須野黄金にら部会、栃木県大田原市若草一‐一三八五‐一、Tel0287・23・3336、FAX0287・23・7688、部会長・小泉恒雄(大田原市北金丸二二八、Tel0287・22・3285)
■販売方法=市場出荷
■価格=一ケース(五〇〇g)七〇〇~八〇〇円、夏は六〇〇円