シェフと60分:東京會舘日本料理料理長・小松崎剛氏

1998.12.07 167号 19面

バブルのころに比べると、売上げが三分の一になり、昼のランチメニューを登場させた。

「丸の内のビジネスマンは基本的にオフィスワークが多いから、脂っこいものより薄味にし値段を抑えました。これまで、昼メニューはやったことがなかったけど、値段を抑えた分、内容を替えました。大根のつまはモヤシやキャベツを半ゆでにしたものに、刺身のトロはイカやカンパチになりました」

内容を替えただけでなく、手間を加えた。

「(イカやカンパチには)醤油とワサビで供するより、もっとうまいソースがあるかと考えて、マヨネーズに梅、玉ネギのみじん切りをまぜたソースをつくったらこれが合う。そりゃあ、醤油とワサビも出しますけどね。私はこっちの方がおすすめだということで、二種類並べて出してますよ」

和食でマヨネーズソースというのは意外な組み合わせに感じるが、「何事にも絶えず、創意工夫していくべきだ。自分にムチ打てと自らいい聞かせていますよ。何十年もこの世界でやってきたんだ、不景気で店つぶしちゃうわけにはいかないからね」と笑うが、そう言いながら自分を奮い立たせる。

一五歳のときに知り合いのつてで料亭に入る。

「はじめは食べるために入ったんだけど、だんだん欲が出てきましてね。人に負けるもんか、とそればっかり思っていたね。魚もなかなかさばかせてもらえないから、普段から先輩のいうことを聞いて、先輩の後をくっついて歩いてたんだ。で、朝魚河岸から仕入れた魚を一本隠しておいて、先輩が『おい、一匹どうした。足りないぞ』っていったときにすかさず『はい、ここにあります! 私にやらせてください』ってお願いするんだよ。そうすると、じゃあ、やってみろってことになって、うん、要領よくやった……かな。同僚には憎まれましたけどね。一流になりたかったから、腕の立つ一流の人についていたよ、いつも」

そのせいか、二二歳のとき、割烹料理屋「名倉屋」の料理長に抜てきされる。はじめは自分でもすごいな、と。しかし、二年が過ぎるころ‐‐

「はたと、これじゃあいけないと思いました。同僚たちはまだ焼き方だ、煮方だといっているんです。自分は一番上にいたら、これ以上腕が上達しないんだと気づいてね。部屋(甲州屋庖清会)の会長に『もう一度修業させてください』と頼みました。それから、神楽坂や伊東、熱海なんかを修業して回ったよ。その間にそのころいた婚約者には逃げられちゃった」

六年修業したあと、二八歳で東京會舘の和食の責任者として迎えられた。

小松崎さんが修業していたころは「とにかく仕事の内容が広かった」という。

「そのころは何でも手作り。金串だって自転車屋に行って、いらない自転車の車輪についてるスポークをもらってきて、コンクリートの地面で削って尖らせてつくったり、竹串は竹を切って、何十本何百本もつくったもの。今の若い人は、そうですね、与えられた勉強をしてくるから、与えると仕事するけど、自分で創意工夫して仕事する人は少ないみたいね。もっとも、昔みたいに住み込みで働くんじゃなくて、片道二時間くらいかけて、通勤してくるからそんな暇ないんだろうね。だから包丁を研ぐ暇がなくて、切れない包丁使ってたりするんだよ、時々怒るけどね。通勤の時間は修業じゃないから大変だよ、本当に」

「自分が弟子を持って、その弟子が腕がいいと思ったら、自分の目の届く範囲で、あちこち回したよ。やはり、いろんなところへ行くと、たくさんの経験ができるからね。ちょっとした予定外のトラブルでも、キチンと対処できるような、土壇場に強い人に育てるように心がけています。仕入れで入らなかった薄切り肉の代わりに何を使うか、お客さんの好みに合わせた料理が臨機応変につくれるか、これを克服するには仕事の幅を大きく持って、たくさんの経験を積むしかないんだ」

料理長になって、多くの弟子たちが巣立っても常に自分は半人前と思って仕事に励む。「運は働いて待つもの」と研究心を忘れない姿勢でいつも前を見ている。

◆プロフィル

昭和12年、千葉県生まれ。八人兄弟の末っ子。一五歳のとき「まあ、家にいたって仕方ないから」と日本料理の店に。自分でいうと「要領よく修業した」。常に一流を目指し、仕事熱心なところを親方に見込まれて、二二歳で料理長になるが、二年後にもう一度修業にでる。二八歳で東京會舘の責任者となり、四〇歳ころまでは、夜は11時ごろまで仕事する日々だったというが、苦にはならなかったという。

「魚を下ろすにしても、焼くにしてもかっこよく仕事する」がモットー。いつも弟子たちが見ていることを考えてのことだが、弟分ができた弟子にはこのモットーを伝える。

最近、一ヵ月半ほど病気で入院した。不況のなか、店を存続させるには「常に研究心をもつこと」が必要不可欠と考えた。新しい和食メニューに挑戦する毎日だ。

・所在地/東京都千代田区丸の内三‐二‐

二 東京商工会議所ビル

・電 話/03・3211・4852

文   石原尚美

カメラ 岡安秀一

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