超繁盛店ルポ:和食処「ちょっと贅沢・神田ッ子」
一九九九年元旦。ロングランの不況ブームにへきえきしつつも「今年こそは商売繁盛」を祈願したすべての飲食店経営者にエールを送る意味で、超繁盛店ルポ・新春第一弾は、昨年一年間に売上高を四〇%以上もアップし年商二億円を超える超繁盛店に生まれ変わった和食処「ちょっと贅沢・神田ッ子」のサクセスストーリーを紹介したい。
今からちょうど一年前の一九九八年元旦。大衆割烹・神田ッ子は開店二〇周年という記念すべき年を迎えた。とはいえその二年前パチンコ店経営が本業の浩和商事(株)として創業三〇周年を盛大に祝った時の環境と比べ、店の売上げは不景気の波と競合店(大型大衆居酒屋)の開店の嵐にさらされて低迷し、決してめでたいという環境ではなかった。それでも、店の命運を賭ける切り札として一ヵ月前に就任した林信浩常務取締役支配人は、座右の銘である「活路は有る」という言葉を心の中で唱えた。
もともと本部の総務担当常務という立場で店を見ていて、神田ッ子の不振の本質的な原因は店に対する本部の指導力と思いやりの欠如、店の幹部の資質とモラルの低さにあると分析。その上で立て直しと後任育成が完了するまでの間、自らが現場の責任者になることを志願しただけに取り組む決意は並々ならぬものがあった。
「神田ッ子」のCIを確立へ
そして同じく一ヵ月前、自分の片腕として知人に紹介された実務家で計数管理に明るい内山利行マネジャーとともに、神田ッ子の改革に乗り出したのであった。
「スタートが平常月の二倍近い売上げの12月という最大商戦期だっただけに、徐々に店に慣れるどころかいきなり戦力としてフル稼働の状態で無我夢中の一ヵ月でした。それでも毎日店が終わった後に内山マネジャーと神田ッ子をどういう店にしたいかを熱く語り合い、社長にも無理をいって年内に神田ッ子のCIを決定したのです」
それが現冠名である「ちょっと贅沢」な和食処である。
割烹というと敷居が高くて入りにくいイメージがあるが、大衆割烹なら庶民でも手の届く範囲で楽しめるという意味で付けられた業態名も、二〇年という歳月が流れ、環境も人の価値観も変わった現在では訳の分からない古臭いネーミングでしかなかった。林常務はこの冠名の大衆割烹が神田ッ子の矛盾の原点であり、新しい店の理念の確立こそが、働くスタッフも利用するお客さまも、最も分かりやすい改革の旗印になるということをリーダーとして確信していたのである。
「ちょっと贅沢」は今の不景気な時代には合わないという内外の雑音には耳を貸さず、「神田ッ子はお客さまがちょっと気張って入る大衆居酒屋では味わえない真の満足を提供する店にする」と年頭に全従業員に宣言した。神田ッ子の総支配人として不退転の決意表明を示したのだった。
サービス業は“人”がすべて
まず林常務は、質・量ともに不足していた神田ッ子の幹部スタッフ集めに取り掛かった。「飲食サービス業は人ですべてが決まる」が持論だけに、最優先課題として着手したのである。
1月に自分が以前静岡で教師をしていた時の教え子を女性のリーダーとして、2月には内山マネジャーの友人の奥さんで大手FRチェーンの接客部門全国ベスト3のスペシャリストをホールサービスの核としてスカウト。一方で既存スタッフに対しても毎日のミーティングや日常のオペレーションのなかで神田ッ子の目指す「ちょっと贅沢」なサービスに近づけるようブラッシュアップしていった。
この指導内容は単なる一過性の指摘事項に止めず「神田ッ子の常識」というケーススタディー集として記録し、新人教育に役立てた。こうした地道な努力が実り、神田ッ子の接客サービスレベルは短期間で格段に向上し、お客さまも以前とは違う居心地の良さに気づきはじめ、それと同時に売上げも前年実績を上回るくらいまで改善した。
「店づくりでいえばまだ基礎工事の段階で、数字が変わってきたことは大きな自信とやりがいにつながりました。でもこの時点でスタッフの士気の高さはホールの接客部門だけ。調理場の協調と意識改革がなければ真のNEW神田ッ子はないことを改めて自覚しました」
実は神田ッ子の調理場は二〇年前の開店以来、調理師協会に委託して来てもらった料理人のチームで運営してきた長い歴史があった。そのため同じ神田ッ子のスタッフでも、ホールと調理場は別の組織で、歴代の支配人にとって調理場は料理長を筆頭に全員アンタッチャブルの世界というのがそれまでの常識だった。本部も、過去に何度もある日突然調理場総あがりという悲惨な経験があり、素人が料理のことでプロにあまり口出しはしないものというスタンスをとってきた。
その結果が料理に対するお客さまからのリクエストと苦情の放置で、乗降客一〇万人以上のJR市川駅前という好立地でなければ絶対にもたなかったと思われるほど常連客の少ない、いわば立地の良さと店の広さによる宴会需要のみで営業しているといっても過言ではないくらい魅力のない店になってしまったということを、林常務はだれよりもよく知っていた。
実際に調理場の改革に着手したのは2月、昼のサービス定食の内容からであった。それというのも現状の効率が余りにも悪く、見極めの段階にきていたこと。そしてもう一つの理由は内山マネジャーが大手FRの出身で調理場に対してイニシアチブが取れたことである。この時点で昼の売上げはわずかに日商二万円程度。二倍売っても八〇坪の店で人を五、六人かけて合う売上げではない。それでも調理場の意識改革のためにあえてチャレンジしたのだった。
結果は大吉と出た。途中何段階かのプロセスを経たが現在日商一〇万円は下らない。昼の売上げだけでいえばいかに分母が低いとはいえ、何と五倍の売上げになったのだ。
021のメニュー見直し遠征も
「ランチ改革の事例は上がった額以上に大きな自信と力になりました。この勢いで本丸のグランドメニューの改革に取り掛かったのです。前任の料理長から変わって七年間良い意味でなく、悪い意味で不変だったグランドメニューは品数こそ一二〇あるとはいえ、ほとんどが素人目で見てもとても仕事をしているとは思えないものばかりでした」
お客さまが感動するメニュー作りの情報収集と新しい素材の仕入れルート開拓のために、料理長や調理場のスタッフを連れて近隣の競合店のみならず、繁盛店見学に遠くは北海道にまで一緒に行き、連日ともに目指したいNEW神田ッ子の姿を語った。
その林常務の熱意がそれまでの常識を変えた。七年もの間、調理場を仕切っていた前料理長は高齢を理由に改革にはついていけないと引退を宣言した。最悪の場合の調理場総上がりも覚悟したが、篠原現料理長以下五人の優秀なスタッフは林常務の経営方針と前向きで誠実な人格を支持し残留を決意した。
こうしてついに6月、ホールと調理場が一丸となった神田ッ子史上最強チームが誕生し、神田ッ子の「ちょっと贅沢革命」は画期的に前進したのであった。
素材にこだわり仕入れ厳選
「グランドメニューの改革では、特にマグロの刺し身にこだわりました。なぜなら九五〇円で黒い赤身のまぐろ刺しこそが神田ッ子の元凶だったからです。お客さまへの信頼回復と大衆居酒屋との差別化のために、内容をインドマグロの中とろだけに替え、その代わりに売価を一二〇〇円にしました。それによって召し上がったお客さまには満足していただけましたが、残念ながら一人前一二〇〇円では内容が変わったと分かっていただく以前に高いというイメージが強すぎて、ほとんど注文してもらえなかったのです」
それでもあきらめずに、売価をお客さまが気軽に注文できる一〇〇〇円以下に下げて、しかも内容を同ランク以上にしたいと林常務は仕入れの抜本的改革にまで取り組んだ。その結果、清水にある日本でも最大手に近いマグロ問屋からの直接仕入れが実現した。
本マグロの中とろを059円で
「おかげで最高級の本マグロの中とろを一人前九五〇円で売れるようになりました。そしてそれは思った通りの大反響でした。まぐろ刺しの改革は常連客や身内である社員の人たちからも神田ッ子は変わったという評価をもらいました」
それまでは身内からも見放されている店だったという。それが、仕事帰りの社員の個人需要はもとより、休日に友人や家族を連れて来てくれるほどに信頼が戻った。もちろんまぐろ刺しだけでなく、どれを注文してもすべて素材と加工にこだわり、お通しまでが、出した時ほーっと感心されるレベルになるほど努力されたことの結果であることは言うまでもない。この時点で店の売上高は前年対比二けたアップを果たすまで復活した。
「機は熟したと心の底で叫びました。“ちょっと贅沢”なサービスと料理が提供できたら、そのほかにお客さまが求めているものは“ちょっと贅沢”な環境しかないじゃないですか。前回の改装から一〇年が経過し、いろいろな箇所に老朽化が目立つようになっていました。またあと一〇年ご愛顧よろしくの意味を込めてリニューアルを決意したのです」(18面に続く)
トップも林常務以下神田ッ子スタッフのこれまでの努力と士気の高さを十分に理解していたので、林常務のこれまで心の中で温めていた神田ッ子ニューバージョンの企画を即決した。そしてなんとそれからわずか二ヵ月後の9月6日には、二週間も店をクローズしての改修工事を終え、名実ともに「ちょっと贅沢・神田ッ子」に生まれ変わった。
改装オープンに先立ち行われたレセプションでは、林常務が来賓の前でこれからの経営理念となる「神田ッ子憲章」を掲げた。その翌日、神田ッ子は慣れないレイアウトと新メニューでお客さまに迷惑をかけないようにと派手な広告や装飾は一切ないサイレントオープンにしたにもかかわらず、改装オープンを心待ちにしていた常連客で賑わった。それから約一ヵ月間オペレーションをじっくり固め、10月12日、改装記念感謝企画として「まぐろ祭り」を開催した。
神田ッ子自慢のまぐろ刺し以外にもオリジナルマグロ料理の数々が期間限定で登場し、店頭の数多くののぼり旗とスタッフのはっぴが店の雰囲気を盛り上げ、連日満員御礼の大盛況を博した。約一ヵ月にわたった期間中の売上げは何と前年対比で一四〇%を超えるすばらしい結果となった。 「勢いを止めたくなかったので間髪をいれずに鍋祭りを開催し、これまたまぐろ祭り以上の実績が残せました。12月はこのペースで行きますとバブル当時の売上げをはるかに上回るとてつもない売上げ新記録が出そうです」
2号店出店の夢もふくらむ
林常務は筆者の取材に対して、この一年を振り返りながら、感慨深げに一つ一つの出来事を臨場感たっぷりに語ってくれた。林常務の熱い語りを聞いていたらなんだかこちらまでうれしくなってきた。最後に神田ッ子支配人としての一九九九年の抱負をうかがった。
「まずいろいろな事情でできなかった神田ッ子の二〇周年記念のイベントをお客さまへの感謝の意味を込めて大々的にやりたいですね。それと週末にはいつも満席で入れないお客さまと、これだけそろった優秀なスタッフのために、近隣に神田ッ子の二号店を出したいです」
◆浩和商事(株)/代表取締役=南利道/創業=昭和39年/本部所在地=市川市市川一‐四‐一七/店舗所在地=同プラザKOWA2階、Tel047・325・1258/立地・坪数・席数=JR総武線市川駅北口前・八〇坪・一五〇席(ホール五〇席・個室三〇席・座敷七〇席)/営業時間=午前11時半~午後11時、年中無休/客単価(昼九〇〇円・夜四五〇〇円)/一日来店客数=二〇〇~二五〇人/月商=一七〇〇万円/従業員数=正社員一一人(ほかアルバイト二五人)/客層=中年男性グループと男女カップル。最近は女性客がかなり増えてきた。