ご当地ラーメン徹底研究:「尾道ラーメン」
大林宣彦監督の青春映画「尾道三部作」が話題となってから二〇年の歳月がたとうとしている。作品中に醤油蔵の息子が登場するように、尾道は醤油の町でもある。坂あり海ありの美しい港町の中に醤油蔵が点在している。
東京に代表される醤油ラーメンと九州に代表される豚骨ラーメンの境界線があるとしたら、岡山市と広島市の間である。岡山市が醤油ラーメン文化圏なのに対して、広島市は豚骨ラーメン文化圏である。
そして醤油蔵の町尾道には、独特な醤油ラーメン文化があり、尾道に近い福山あたりも、尾道に近い形態の醤油ラーメンが栄えている。つまり、同じ広島県の中で、尾道ラーメンと広島ラーメンが醤油ラーメン文化圏と豚骨ラーメン文化圏の境界線となるわけである。
さて、その尾道ラーメンとはいかなるラーメンなのか。まずその特徴は、濃い醤油味スープに豆粒ぐらいの大きさがある豚背脂のミンチが浮くことである。
最近首都圏でも背脂を浮かべるラーメン店は増えてきたが、その比にならないくらい粒が大きい。口に入れると泡のように溶けてしまうが、なじみのない客には少々抵抗のある大きさである。
そして麺は中細の平打麺。スープが染み込み、すすり込んでのど越しを楽しむというよりは、かみしめて味のあるタイプの麺である。具はチャーシュー、メンマにネギとあくまでシンプルなスタイルだ。
このスタイルのラーメンの創始者が、尾道「朱華園」の先代、壇上正儀氏である。昭和22年に屋台からスタートし、昭和42年に店舗を構え、今では県内に数店の支店を持っている。
もともとは台湾で修業し、日本人のし好に合うようアレンジしたものらしいが、丼にゆであげた麺を入れ、その上からスープ、たれの順番に注ぎ込むという製法は、ほかにはないスタイルである。
この順番を変えると味も変わるという。朱華園の味が尾道で人気を呼び、徐々に市内に広がっていった。そして製麺所の企業努力もあり、尾道ラーメンは、ご当地ラーメンのブランドとして名を広めることになる。
朱華園二代目の壇上俊博氏は、「尾道ラーメンなどというものはなく、ウチはウチの味」と謙そんするが、その意見は元祖ならではのごもっともな理論。しかし、全国どこのご当地ラーメンも、一軒の繁盛店の味がその地に広がったという点では、同様の話。
朱華園の味が、尾道ラーメンの味を作り出した事実は、客観的に見れば、歴史的な事実であり、それだけの独自なラーメン文化が存在している町である。