店主の本音・プロが訪ねる気になる店
歴史の長い日本料理界で、三代目として料亭「青柳」ののれんを守りながら、自ら描く日本料理の新境地を切り開く小山裕久店主。後発ながら、日本における新しいフランス料理を確立、初代から次代へと橋渡しに尽力する石鍋裕「クイーン・アリス」オーナーシェフ。料理事業に情熱をかたむける両者に思いのほどを語ってもらった。
◆訪ねる人=クイーンアリス・オーナーシェフ石鍋裕氏
(いしなべ・ゆたか)=フランス料理「クイーン・アリス」オーナーシェフ(東京都港区西麻布三‐一七‐三四、Tel03・3405・9039)
一九四八年横浜生まれ。
一六歳で料理のおもしろさを知り、これを一生の仕事にしようと料理人の世界に入る。
二三歳で全財産を持ち、あこがれのフランスへ修業の旅に。五年後に帰国、「ビストロ・ロティーヌ」の料理長となるが、ヌーベルキュイジーヌの旗手としても注目される。三四歳で「クイーン・アリス」をオープン。現在は、四軒のレストランと食材輸入会社のオーナーとなる。また、最近では運輸省観光政策審議会専門委員やテーマパーク、郊外ショッピングエリアなどのコーディネートも手掛けている。
◆迎える人=日本料理「BASARA」店主・小山裕久氏
(こやま・ひろひさ)=日本料理「BASARA」店主(東京都港区赤坂一‐一二‐三二、アーク森ビル二F、Tel03・5549・7518)
一九四九年徳島生まれ。大学卒業後、大阪で日本料理を修業。生家である料亭「青柳」に入ったのが二七歳。地元徳島の産物、郷土料理を見直し、料亭の洗練された料理に仕立てようと努力。「鯛の淡々」「ぼうぜの寿司」「贅沢わかめ」などの名品を生み出す。八三年、「徳島そごう」開店と同時に初めての支店を出し、以後、隣接して「婆裟羅」、東京に「BASARA」をオープンさせる。九二年には料理人育成から、平成調理師専門学校を設立、校長に就任。一方でパリのフランス料理上級学校で日本料理講習会、ホテル・プラザ・アテネで日本の味の祭典、ホテル・リッツで日本料理フェアなどを開催する。
石鍋 小山さんとは平成調理師学校設立前からのお付き合いだから一五、六年になるが、「徳島よいとこ、一度はおいで」の言葉につられてよく通った。
小山 高知の人が四万十川のアユがおいしいというので、車に炭、鍋を積んで川巡りもよくした。
石鍋 この時、アユにも特徴があることを知った。琵琶湖の稚アユ、長良川のアユ、京都のアユ、いろいろあるが、四国のアユは独特の味がする。普通は一本食べるところを一〇本も食べて(笑)。
小山 あのころは物珍しさもあっていろいろな人が来た。アユも八十何本焼いたりして。
フランス料理の知り合いはたくさんいたが、親しく技術的なところまで立ち入って話し合えたのは石鍋さんが初めて。
石鍋 フランス料理をやっていても中華料理や日本料理の作り方プロセスを知ると、結構おもしろい。料理人魂が出ていたりして。
私は、昔から何か新しいものがあると、自分のところで使えることもあるが、買い支えたり作ってもらっている。
たとえばトマト。用途からいえば、生食なら日本のトマトがよい。ソースなどにするなら水煮よりセミドライのほうが使い勝手良く、早く作れる。
ドライ加工といっても水分を抜くだけのこと。軽量化だけでなく腐敗もしない。ところがコックはここの計算ができない。目方を量り、皮をむき、掃除をして煮詰める時間を全然考えていない。加工したものは価格が幾分高くなり、それじゃあ普通のトマトを買ったほうが安い‐‐となる。
小山さんのように日本料理では生を使うことになるでしょうが、フランス料理では、普通に煮たり焼いたりするには天然物を使う必要がない。使ったとしてもお金には反映されない。
石鍋 食材の話でいえば、われわれは商売柄、天然ものの魚しか使わないが、養殖にも良いものが出ている。コスト的に食べられない一般の人には天然礼讃ではなく、養殖の魚のおいしさを料理のわかるわれわれが教える必要がある。
考えてみれば、牛肉だって養殖。大根だって野性の大根が生えているわけではない。野菜も全部養殖。鳥だって飛んでる鳥なんてなく、地鶏がいいだの名古屋コーチンだの産地間競争になっている。
どこかのフレンチレストランで、カモだから売れるからと箱の中で大きくなった、飛んだことのないアヒルをカモとして使う。
三五〇〇円で九品出るような会席料理もある。五万円のところもある。どこがどう違うのか。材料が違う。
鰹節一つにしても、しゃかしゃかとかけて出す。そういうことをすべて公開したらいい。すべてが公開された事実の中で、消費者が選ぶ。
私たちはそんなにお金がないから、養殖のタイのおいしいのを考えてくれる料理屋さんに行こうということになる。
養殖と天然ものは、全く別の話。養殖で良い悪い比べればいいのであって。そうすれば「養殖といえば商売になるんだ」といって、イタリアンもフレンチも日本料理屋もみんな「うちは養殖を使っています」となるかもしれない(笑)。
小山 料理人が現場に行くといいながら、朝早く起きて築地に行きハヤシライスを食べたら、いい魚を仕入れると思っているのだろうか。そんなばかな話がどこにあるかと思う。
ぼくらは地方でしょう。漁師が釣っているのも全部わかっている。築地のおじさんなんか、何にも知らない人がいる。地方だとそうはいかない。面が割れているし、どんな魚なのかみんなわかっているから。都会では料理の資料はできるが、魚を見分けることはできない。
築地が悪いといってるのではない。何かというと、「朝早く起きて河岸に行っている」という。それはもうやめませんかといいたい。
一生懸命正しく仕事をしていればいいんです。その生きざまを売るなんていうのは……。早く起きることで料理がおいしくなるわけがない(笑)。
もう一つ。よく言われることが「不在」ということ。居てもまずいところはつぶれる。張り付いているがはやっていない店も多い。周辺状況で一概に物事を判断はできない。築地に行くとか、鍋を洗いながらソースを指ですくったとか、それでもまずいソースだったら……(笑)。
石鍋 われわれの商売は水商売といわれるが、水商売といわれるのがいやで株式会社にして優良法人をとりたいと思った。
優良法人をとると、次に控えているのが、自分の生き方になる。いろいろやりたいことの一つが料理。それをもう二十数年間やってきた。
子供のころ、四〇というとじじいと思っていた。今、自分が四〇になり若いと思っている。がく然として、四〇から六〇まで何をやろうかとなった。とりあえず生活していかなければいけない。国が面倒をみてくれるわけでもない。そうすると、一軒の店では、はかなくつぶれてしまうかもしれない。そう考えると、自分がいつも調理場にいてもしょうがないんじゃないか。若い人を育てなかったら、結局はしっぺ返しを受けることになると。
どうすれば若い子が生活できるようになるか。単純に店をあげるか、引き継いでもらうしかない。うちには一生懸命やってくれるのが四人いると思ったら、少なくとも四軒分つくらなければいけない。
小山 日本では二〇〇年前から日本料理をやっている。料理屋がしゃぶしゃぶ屋をしたり、不動産業をしたりしている。レストランだけでは不安定だから一〇〇年前からこうしたことをやっている。
フランス料理は石鍋さんたちが出てきてやっと初代。日本料理は僕らで三代目。もっと古いところがいっぱいあり、業界としての成熟度が違う。
老舗の洋食屋は日本発の洋食。日本料理屋っぽい。ある特殊な階層を相手にしたウナギ屋、すし屋などと同じゾーンに入っていた。
石鍋さんは別な層を獲得している。日本のフランス料理業界もやっとこれからですよ。(次回につづく)