シェフと60分:シェ・イグチ・井口オーナーシェフ

1999.09.20 187号 9面

「それまで7月8日の予約は受けられなかった」というオープン二日前、レストランになくてはならないテーブルが届いた。高松でイス・テーブルを中心に手がける製作所に発注していた一枚板の一〇人掛けテーブル。

「決してテーブルにこだわったというわけじゃなくて、一日一組(昼・夜各一組)にこだわったんです。一組のお客さんなら机は広くて、座ったとき相手との距離がちょうどよい大きさのものを一つ、と考えた結果だったんです。そのテーブルが何とか届いて、それまでに予約をお断りしていたので、もうこないだろう、と思っていたところへ電話が入りました。当日は午後1時にランチをスタートして、私も交じってお話していたら結局6時ごろまでいらっしゃいました」

「半分は道楽のつもり」と笑うが、仕事には手を抜かない。

「いつもメニューを考えずに買い出しに行くんですよ。シーズンの魚というよりは、生きのよい魚。その日おいしくて新鮮なものを仕入れています。帰ってきて『さて、どうしようか』って。今は少し余裕が出てきましたが、はじめの一週間なんかは動揺もありながらやっていましたね」

得意は魚料理。

「無休でいこうと思っていたんですが、お盆休みなんかは河岸が休みに入っちゃうんですね。迷ったんですが、うちも休みにしました。パン屋も休むというし……。予約の電話で『何でもいいからやってくれ』と言われたんですが、うちの特徴も出せないところへお客さんを呼んでも仕方ないですからね」

とスタイルは崩さない。

「自然体」「マイペース」という言葉がサラッと似合う。

「協調性がない、といえばそうなのかもしれないですね」

四年制の大学を卒業して、丸の内ホテルに入社。

「まだあのころは厨房は中学卒や高校卒がほとんど。四年の遅れを取り戻すには、人の四倍やればいい、なんて単純に決めて、朝一番に出社して人が来る前に下っ端の仕事を全部終わらせていました。で、先輩が来たところへ次の仕事をもらっていました。始発で終電の生活でした。同僚からするとおもしろくないと写ったかも知れませんけど、私としてはブランクを埋めるのに必死でしたから、あまり気になりませんでした」

ホテルに入社してからずっと「本場で修業したい」という気持ちがあった。

「すでにメーンダイニングシェフにもなっていましたから、責任もあるし、家族もいるしでなかなか踏ん切りはつきませんでしたね」

チャンスはメトロポリタンホテルのオープン一年前に訪れた。

「一年後の就職先が決まった、ということもあって、単身でフランスに渡りました。入ったレストランのパトロン(オーナー)は、食べることが大好きな人で、おいしいものを食べに連れていってくれたり、市場の仕入れにも連れていってくれました。秋の新酒ができるころにはソーテルンワイン園へ行って徹夜で大騒ぎしたりして、楽しかったですよ。シェス(猟)の経験なんかもさせてもらって、つくるのも楽しい、食べるのも楽しいという具合でした」

考えていた修業とはかけ離れたが、食べ物に対する思いは深まった。

ホテルメトロポリタンからの要望で、三ヵ月早く帰国。

「えっ、もう、という感じでしたけど、フランスの経験は貴重なものになりました。日本のフランス料理の厨房は下積みが長いものでしたが、フランスではとにかくやらせていく形をとっていました。私も新しい職場では積極的にその形式を取り入れて経験二、三年の若い子にも何でもやらせました。いま、その子たちが育って、あちこちで活躍している話を聞くのでうれしいですね」

ホテルメトロポリタンでも、半製品などは極力使わないよう努めたが客が一日一〇〇組という現実には妥協せざるを得ない状況があった。

「いつか独立したい、とは考えていました。そして、独立するなら客との距離を感じない程度で、サービスも料理のタイミングもピタッとお客さんの呼吸にあうレストランにしたいと思っていました。これは料理人ならみんなが考える夢と言えるかもしれません」

自宅のダイニングをペントハウスをイメージしダイニングに改築した。フロアーは美代子夫人が担当する。テーブルセッティングやフラワーアレンジを勉強してきた夫人だが、お客を相手にサービスするのは初めて。

「実はオープン前日に、彼女がワインをグラスにうまくつげない、ということに気が付いたんです。夜何度となく練習して、それでもまだぎこちなかったんですが、次の日の仕入れが早いこともあって、とりあえず寝たんです。翌朝早くに目が覚めたらキッチンで彼女がボトルに水を入れて、グラスに注ぐ練習をずっとしていたんです。本人の前では言いたくなかったんですが、『一緒に頑張ってくれるんだ』と、感動して泣けてしまいました」

照れながら話してくれたシェフと照れながら聞いていた夫人の姿が、このレストランそのものであることを感じさせた。

●プロフィル

昭和23年、東京都生まれ。大学の法学部に進学するが、おりしも七〇年安保の真っ最中で、授業もろくに受けられなかった。そのため友人の紹介で、国技館の幕の内弁当作りのアルバイトをする。その時期は寝る時間もないほど忙しかったが、それまでの料理好きもあって「これは自分に合っている」と感じる。それからは、飲食関係のアルバイトをしながら学校を卒業し、丸の内ホテルに入社。一三年勤めてからフランスへ一年弱修業に渡る。帰国後、ホテルメトロポリタンにメーンダイニングシェフとして招かれる。一四年勤めてから、白金台の自宅をダイニングに改築、美代子夫人と二人三脚でこだわりのフランス料理店を営む。

文   石原尚子

カメラ 岡安秀一

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