店主の本音・プロが訪ねる気になる店:中国料理に惚れ互いに切磋琢磨
ともに一国一城の主を志し、よきライバルでありアドバイザーとして互いに切磋琢磨する仲間だった料理人二人。一人は念願かない今年、「松の樹」を開店した矢野茂店主。他方、今もよき関係を保ち、来るべき独立に備え研究に余念のない「華湘」桜木豊料理長。会社勤めの料理長時代と異なり、独立後は予期せぬさまざまな出来事を解決しなければならない。こうした現況などをともに語り合った。
矢野 桜木さんとは、一〇年前ごろから同じ系列店の料理人としてできる人と注目していた。「華湘」がオープンする前には、川崎「雪園」に手伝いにきてもらっていたが、それ以来身近になんでも聞ける人と重宝している。
一人でやっていると料理も行き詰まってくるし、聞くのは恥ずかしいと思うより聞いて覚えたほうが勝ち。(笑)
桜木 私も矢野さんにはなんでも聞いている。得てして引き出しが少ない人は、聞いても答えてくれない人が多い。駆け引きなく教えてもらえ、ヒントを得ている。
矢野 華湘に食べに行き感心したのは、香辛料の使い方のバランスとセンスの良さ。四川のサンショウ、唐辛子は今では当たり前に入手できるが、当時はなかなか手に入らなかった。それを使っているのには驚いた。
行者ニンニクも使っていたが、それまでは知らなかった食材。とにかく情報が速く、広い人だ。
桜木 毎年、四川の成都に行き、香辛料はまとめ買いして帰る。矢野さんの料理はスープとか煮込みが良い。上海料理「楼外楼」の出身からかな。
矢野 最初は四川料理だった。次の六本木・楼外楼はこてこての上海料理。今では両方の折衷料理を出している。
桜木 今度矢野さんが独立したが、これを見ながら私が将来独立したときの参考にしたい。(笑)
矢野 独立しても失敗した料理人はいっぱいいる。私も周りから反対された。この店は中華を三十数年やっていた居抜き物件。一階から三階までを店舗、四階は事務所と倉庫に使っている。
自己資金は無尽を下ろした二〇〇万円だけ。保証金はなく、什器・備品をそのまま使い、新しいのは看板と絵ぐらいでスタートした。
桜木 矢野さんの人柄をみて貸してくれたと思う。
矢野 今までは会社勤めだから毎月給料が出たが、自分で商売を始めると気が休まる暇がない。ただお客からの受けは、直ちに跳ね返ってくるので励みになる。
料理はまだ一つ一つつかみながら試行錯誤の繰り返し。また、各階へリフトで料理を運んでいるが、どうしても冷めやすく、顔を合わせず電話のやりとりのため間違いが起こりやすい。
桜木 オープン当初は、だれでも鍋を振るのに必死。私はなるべくホールに出て客席の様子を見に行くようにしているが、今後はそうしたことが必要と思う。
矢野 出るか出ないか、どっちかに徹底したほうがよい。
桜木 ホールへ出はじめたのは脇屋さんあたり。それまでは中華にはなかったこと。
矢野 私は親しくしているお客さんとは電話で話している。しょっぱいとか、うまくないとか。(笑)
桜木 カメラを置けばいい。やっている人もかなりいるようだ。お客が女性だとか、年輩だとかで合わせていくことができる。人にはなんとでも言っているが、うちはまだやっていない(笑)。ところで目玉商品は。
矢野 麻婆豆腐を土鍋でドーンと出している。麻婆豆腐は、意外に毎回同じ味で出すのは難しい。豆腐の水分で変わる。
桜木 土鍋で一つずつ出すのは難しい。
矢野 一品料理のほかセットメニューにも麻婆豆腐を付けているが、昼は一〇〇人ぐらいになるので大変。12時5分から12時30分までが勝負。
今はお客を待っていたら駄目。弁当にも気合いを入れてやりたいが、気合いを入れると原価一〇〇%にするのでこれも困る。(笑)
昔は中華は麻婆豆腐、青椒肉絲、茄子の炒め、回鍋肉、酢豚と決まっていたし、四人くらいで取り回して食べていた。ところがここ一〇年来、ほとんどのサラリーマンは一人ずつ分けて食べるようになり、いささか戸惑っている。反対に女性は違い、みんなで取り分けており、食べる楽しみ方を知っている。
桜木 地域に合わせた料理、提供をしていくのは大変だ。
矢野 川崎の土地勘があると思っていたが、そんなに甘いものではない。一人でも多くの人に入ってもらいたいから値段も低く設定した。
桜木 従業員管理は。
矢野 以前の会社は毎年新卒を二十数人入れていたところ。今では厨房ばかりでなく保険事務、経理事務すべて自分でやらなくてはいけない。
桜木 うちは一五~一六人いるが、だいたい五人のスタッフがいればなんとかなる。鍋二人、前菜一人、まな板一人、焼き一人、これさえ押さえておけば、やりくりしながらなんとかやっていける。
矢野 大きいホテルは辞めないね。これもある意味で困る。(笑)
桜木 われわれの若いころは、給料を上げるために条件の良いところへ移動した。ある程度固まってくるとまた動く。今は逆に動くと下がることが多い。これも動かない原因かもしれない。
矢野 移るたびにレベルアップしていった。今は日中調でも講習会を開いたりし、動かなくても学べる場が増えてきた。またジャンルの違う料理長が、若い者を勉強にやらせるなど良い傾向になってきた。
桜木 来年は、ぜひ中国へ一緒に行きましょう。行った効果は大きい。かつて年輩の人が上海料理といっていたのが現地へ行ってみていろいろ知り、あの料理はいったい何だったのかと思うことがある。
私は、日本にない向こうの調味料を使って私流の身近な親しみやすい焼きそばのようなものを出してみたい。
矢野 私は場所柄に合わせ、変わったものよりおいしいものを出していきたい。そして少しでも地域に認知してもらえるよう努力をしたい。居酒屋風にするとかは考えず、あくまでも中国料理でやっていくつもりだ。
●訪ねる人 桜木豊・湖南料理「華湘」料理長
(さくらぎ・ゆたか)=湖南料理「華湘」料理長(東京都豊島区西池袋一‐一‐二五、東武百貨店本館スパイス一五階、03・5951・3295)
昭和37年東京都墨田区生まれ。家業がラーメンとおでん屋だったため、幼いながら客商売に興味を抱いていた。中学時代、たまたま食べた回鍋肉のうまさに引かれ料理人への道を歩む。
東京「知味斎」「慮山飯店」などで修業後、二五歳で台湾に渡る。湖南料理「湘園」、北京料理「天厨菜館」で研さんを積み、四年後に帰国。「華湘」料理長に就任する。現在、大陸の食材に興味を抱き、年一回は現地に出掛ける。辻調・辻クッキングスクール講師も務める。
●迎える人 矢野茂・中国四川料理「松の樹」店主
(やの・しげる)=中国四川料理「松の樹」店主(川崎市川崎区東田町九‐二、044・221・9939)
昭和32年東京都杉並区生まれ。ある日見掛けた大型でダイナミックな動きをする中華包丁に魅せられ中国料理の道へ。49年四川料理「暁雲閣」に入店。故高橋猛房氏の下で修業後、四川料理「杏花飯店」で研さんを積む。さらに煮込み料理を覚えたく六本木「楼外楼」「天厨菜館」で上海料理を学んだ後、63年から川崎「雪園」の料理長に就任。このころから独立への具体的構想を固める。平成11年お台場「木蘭」料理長を務めた後、今年6月念願の「松の樹」を開店、現在に至る。