定番メニューのルーツ探訪:ポークカツレツ誕生「煉瓦亭」
「西洋料理でもない、和食でもない。そうだ、『洋食』にしよう」。明治時代の銀座。高級仏料理店「煉瓦亭」で、新しく生まれた料理を客の一人がそう名付けた。「小さな店なので、お客様との会話は良くできました。お客様の要求やアドバイスを生かしながら生まれた料理です」。データやマニュアルではない。「お客様との一対一のふれあい」。その中で、日本人のための「洋食」が生まれた。煉瓦亭木田明利社長に、「ポークカツレツ」の誕生を中心に話をうかがった。
明治28年の銀座は、国策による西洋化の波に乗って、「煉瓦街」と呼ばれる西洋風の街がつくられていた。煉瓦造りの建物、石畳の道路、鉄道馬車、ガス燈、洋服を着た紳士淑女。しかし、華やかなのは表通りだけ。一歩裏に入れば、江戸時代と少しも変わらない長屋の風景があった。
「仏料理は、外国人や貴族など一部の人だけのぜいたくで、庶民には全くなじみのないもの。もっと多くの人に食べてもらいたかった」
菜食中心の日本人に、バター、チーズをふんだんに使った西洋料理になじんでもらうために、創業者木田元次郎さんの試行錯誤が始まった。
常連客に味の評価をしてもらい、まず生まれたのが「ポークカツレツ」。もともとは「仔牛のポークコートレット」という料理だったが、バターを使うため、しつこく、重い。それを、日本人になじみの天ぷらをヒントに、サラダオイルですっかり揚げきってみた。風味付けにラードを加えると、何ともいえない香ばしさが出た。
当初、ポークカツレツはパンと一緒に出されていた。しかし、やっぱり日本人はご飯好き。常連さんに頼まれて出したご飯が、いつの間にかメニューに載っていた。しかし、今度は「カツレツ」にかかっていたデミグラスソースがご飯と合わない。そんな時にも常連さんに相談したり、評価してもらう。そして、当時まだなじみの浅いウスターソースを使ってみたところ、これが意外にぴったり。ウスターソースは、カツレツになくてはならない存在になった。
その後も、ハヤシライス、オムライス、ご飯好きな日本人のためのメニューが増えていった。
煉瓦亭では、昔ながらの味を変わらず守り続けている。味が狂わないように、料理人は全員生え抜きだというのも、この店のこだわりだ。
「味を守るのは料理人。だから、中途採用で料理人は入れません。まっさらな状態から、煉瓦亭の味を体で覚えてもらうためです。ほかで勉強してきた人は、前の店の味がどうしても出てしまいますからね」
●私の愛用食材
煉瓦亭のポークカツレツは、「丸高パン粉」の生パン粉がなくては始まらない。「以前は、店内で作っていましたが、丸高さんの品質の良さを信頼し、すべてお任せしています」と木田社長はほほえむ。食パンの白い部分だけを使い、中くらいの粗さに丁寧に挽く。普通のパン粉では出せないさっくりとした歯触りと、香ばしい風味がジューシーなポークにぴったりだ。
「生パン粉は生きています。発酵して、色や味が変化するので、一日で使い切らなくてはいけません」
毎日届けられる新鮮なパン粉にも、伝統の味は守られている。