シェフと60分:古拙「さわ山」オーナーシェフ・沢山昇氏
「結局、料理は芸術の集大成ではないでしょうか」。かみしめるように話しはじめる沢山さん、料理人生のスタートは、中学を卒業してすぐのことだった。
中学時代に魚屋さんでバイトをしていた彼は、料亭や小料理屋、旅館への配達をしながら、板場の様子や職人の働きぶりを目の当たりにしていく。やがて料理人たちにかわいがられ、料理のまねごとをすることで、味覚と見る目を磨いていった。そんな時、高山で指折りの高級料亭「州ざき」から誘われ、ごく自然に料理人への道を歩きはじめたのである。
だが、ご多分にもれず料理の世界、そんな甘いものじゃない。
「料理を習うのも大変でしたが、それより同じ料理人同士の競争の方がつらい修業でしたね」
二三歳ですでに結婚していたこともあり、一刻も早く技術で差をつけ一人前になりたいと必死だった。しかし悲しいかな、自分が早く習得できてしまうことは人も早い。自分が時間がかかることは人も同じように時間がかかってしまう。だったら、人より早く起き、人より遅く寝るしかない。沢山さんはがむしゃらだったと振り返る。あるのは“情熱”だけだった。
「力の限りがんばっていたけれど、まわりにいるすべての人間が自分よりもっと努力をして腕を上げているように見えたんです。自信を喪失して落ち込むのはしばしばでした」
乗り越えられたのは、「人間には必ず一つ人より勝れたものがある」と信じていたことだ。沢山さんは、美しいものにひかれる豊かな感性を備えていた。州ざきでの修業中に、そこに出入りする指物師や庭師、陶芸家など一流人と交流したことで得た、大きな宝物を持っていたのである。
「あのころは社会人ではあったけど、いわば料理大学の学生のようでした」
料理技術はもちろんのこと、演出法にしろ、道具にしろ、生きた教材は周辺にごろごろころがっていた。
「料理人って一体何だろう。ただ料理つくるだけでは生活の糧にすぎない。人間性を磨き、豊かな感性を身につけることがもっと大切なのではないか」と考えはじめるようになった。
沢山さんはその後、州ざきを辞めた。少しずつ道具を買い集め、自分の店を出したいと思いはじめたからである。計画通りに、いろいろな店で経験を積み、茶花に通じ、器や絵に対する審美眼を極めていき、さまざまな人との出会いを経て次第に独自の料理道を築いていくことになる。
「料理の上手な人は山ほどいます。もう一度お客さんに来ていただくためには付加価値というか、ほかの人にはないものをもたなければなりません」
やがて彼が出した「さわ山」には口の肥えた文化人や芸術家が口づてに来店するようになった。もちろん彼らは沢山さんの料理には大変厳しかったが、そんな鋭い指摘やアドバイスが彼には一番ありがたかった。「私は荒削りでノーテンキ。支離滅裂な話ばかりしてましたが、きっと料理への限りない情熱だけはくんでもらえたんでしょう。職人らしくもないし、つき合いやすかったのかもしれませんね」と、人なつっこそうな目を細める。
「料理のおいしさは『吉兆』や『辻留』のような一流店でしか味わえないのではなく、魯山人が言うように『お腹がすいた時が一番おいしい』という単純なことが実は原点なんです」
沢山さん自身、「料理はあと味が勝負」と思っている。食べ終わった時に余韻が残る味だからこそ、客に印象を与えることになるのだ。だから、その「ちょっといい味」を勉強するには漬け物や干物を食べて研究することが大切であり、豆腐、湯葉、麩の微妙な味をわかってこそプロの料理人といえるということらしい。
もちろん、さわ山の料理は基本的に和がベースだが、「和でも洋でもやっていることは変わらない」。本筋を崩さないバランスでユリの根くずが出たらチーズケーキ風の菓子を作ったり、アクセントに岩梨やこけ桃を使用したワインゼリーを添えたものをつくるなど、ちょっとしたところに今風のアレンジを試みる。
また、客が家に帰って見よう見まねでつくってみようと思われる料理の方がおもしろいと思っている。たとえば、ベーコンとイカのすり身と合わせてベーコンだんごはベーコンの塩味がきいておいしい一品だし、納豆に枝豆とカシューナッツを混ぜ合わせ、からしやショウガを入れて海苔で巻いた揚げ物など、ごくふつうの食材でできてちょっと新しい要素が入っている料理をめざす。
店の前には「古拙料理・さわ山」の看板が掛けられている。「古拙とは昔ながらの基本を大切に、目先の新しいことはやらないという意味」と、正統派をめざすが、高山の多くの料理人が京都や大阪へ修業に出る中、彼は地元の料理にこだわる。
「高山は歴史と文化が息づく町。豊富な素材もたくさんあるし、伝統に裏付けされた料理もあり、高山の料理を後世に伝えていきたいと思ったわけです」
もちろん、京都帰りの料理人には負けるつもりもない。生まれた町、高山を愛す沢山さんの心意気は、今日も来店する人の心を満足させる。
文・写真 片山よう子
◆私の愛用食材 飛騨ごま
エゴマの産地、高山ではごまの代わりにエゴマを使うことが多く、「さわ山」では五平餅に用いる。「この良さはごまとは違う複雑で独特な香ばしさがあること。ネチッとした触感など、おもしろい食材ですよ」と話し、五平餅のほか、白和えやたれの代わりなど、応用も多彩だ。
「ただ忘れてならないのは日本料理は素材の持ち味を生かすのが基本。手を加えすぎないよう注意しています」(沢山さん)だそうだ。
商品名/山一商事の飛騨ごま(エゴマペースト)三四〇g×一二本入り
◆プロフィル
一九四七年生まれの五四歳。両親に早く死なれ、工場に働きに出ている姉と弟の食事の面倒を引き受けていたこともあって、自然に食に携わる道を選ぶ。
中学時代に始めた魚屋さんでのバイトを通して料亭や旅館に出入りするようになり、時には器を含めた盛りつけから、料理に至るまで多くのことを学んだ。と同時に道具に関心を持ち、収集しはじめたことで、陶家、華道家、茶道家などとの交流が始まり、後に大きな財産となる。
「専門料理」など料理専門誌には彼のつくった料理が、彼の集めた器に盛りつけられ、紙面を飾る。骨董愛好家の料理人として知る人ぞ知る、全国にファンの数は多い。
*
・所在地/高山市八軒町1丁目 ・電話/0577・33・3911