シェフと60分:神戸北野ホテル総支配人・総料理長・山口浩氏
神戸きっての繁華街、三宮から歩いて一五分。山手に来たなあと思って右手を見ると英国様式のおしゃれな建物に出合う。これが「神戸北野ホテル」。二〇〇〇年、日本で初めて都市環境におけるオーベルジュとしてデビューしたホテルで、オープン以来観光客のみならず関西圏や神戸など近郊からも多くの客が訪れている。マスコミの取材も年間一五〇媒体と常に注目を集め続ける存在だ。
人気のもとは、ズバリ「料理」。この料理の指揮をとるのが山口浩氏だ。
三ツ星レストランで有名なブルゴーニュの「ラ・コート・ドール」のオーナーシェフであるベルナール・ロワゾー氏の影響を大きく受けた料理は、彼の言葉を借りれば「新しいフランス料理」。フランス料理に必須と思われるバターや生クリームはほとんど排除しており、素材を生かしたシンプルさが特徴だ。
「流通革命が起こって交通機関が発達したことで、鮮度のいい食材が手に入るようになりましたよね。だからもう食材をバターや生クリームで化粧する必要があるのか? という考えにいたって。ソースを作るにしてもニンジンや玉ネギといった野菜のピューレを入れることで濃度やコクが出せるんです」とキッパリ。
「日本で今後フランス料理が根づくならば、一つの大きな流れの中にある料理だと思います。僕はこの手法を継承したい」
ちなみにこの発想は、ロワゾー氏がカロリーを気にする客の声を聞いたことで生まれたとか。ロワゾー氏からは技術だけでなくホスピタリティー精神を学んだと山口氏は言う。
オーベルジュスタイルにこだわったのも、ゆっくりと時間を過ごして、よりおいしさを味わってほしいという客への気持ちから。
「チェックインされてから、少し部屋でくつろいで、ウキウキした気分でフランス料理を味わってもらって、帰りの心配をする必要がないからお酒も十二分に楽しんでいただける…。おいしさのスパンが長いのが、いいんです。働いているスタッフ全員でおいしい時間と空間を提供できるように心がけています」
にこやかに話す山口氏。料理人歴二四年、順風満帆かと思いきや、阪神淡路大震災で、日本人料理長を務めていた神戸のラ・コート・ドールが撤退、職場を失い、料理人を続けるか悩んだこともあったという。しかし、運良く、震災で閉館していた神戸北野ホテルを運営していた会社から、再開するにあたっての知恵を求められる機会が訪れた。夢が、見えた。
「このホテルでラ・コート・ドールをオーベルジュというスタイルでやってみたいと思ったんです。あと、途中でなくなってしまったラ・コート・ドールをやり直したいという思いもありました」
そのために自ら会社を設立。翌年、夢は、実現した。
「新しいフランス料理」など、ロワゾー氏から多くのことを学んだ山口氏であるが、実はこのホテルにはロワゾー氏からの「贈り物」がある。
それは、ロワゾー氏が考え出した朝食で、なんと世界各国のラグジュアリー・スモール・ホテルの協会である「ルレ・エ・シャトー」が世界一の朝食に認定したもの。ロワゾー氏と山口氏の長年の信頼関係があってこその実現だ。メニューはクロワッサンやパン・オ・ショコラなど焼きたてパンの盛り合わせ、四~五種類の手作りジャムなど一〇種。ロワゾー氏から伝えられたレシピに基づいて、一つ一つ丁寧に作っている。
「ジャムは季節のフルーツを使って、長時間煮込んで砂糖がキャラメル化しないようにするのと、フルーツのフレッシュ感を残すようにして仕上げます」
朝食からぜいたくな時間が過ごせる‐‐山口氏が目指す幸せな空間がそこにある。
フランス料理と向き合うことで大事にしていることは何か? と尋ねたところ、「異国人が、異国の料理を作っているということ」との答えが返ってきた。
「昔はフランス人じゃない自分にコンプレックスがあったし、でも日本人だから優れているところもあるという自負もあって…。でもフランスへ行って、日本人である自分の存在意義を見ることができましたね。僕はフランス人ではないけど、フランス人よりもフランス人じゃなければいけないと思うようになった」
気持ちはフランス人として、日本で腕をふるってきた山口氏。しかし最近は「ジャンルを問わず『おいしければいい!』料理を、日本人として作りたい」気持ちも芽生えてきた。現在ホテルにはフレンチ・レストラン「アッシュ」とダイニング・カフェ「イグレック」があるが、前者ではフランス人、後者では日本人として作っているそうだ。「ストレスがなくなりましたね」(笑い)と、このバランスがたまらなく楽しい様子。「イグレック」は発展し、二〇〇一年「イグレック・プリュス北野店」、さらに今年6月には「イグレック・プリュス三宮店」がオープン。快進撃が続く。
今後の抱負を聞くと「神戸は(震災で)すべてを失ったところだから、それを取り戻したい。そのためにも、神戸の人たちに認められる店にしていきたいですね。神戸で認められたら、きっと全国で認められることになる」。力強い言葉が響いた。
文・カメラ 開亜希子
・所在地/神戸市中央区山本通三‐三‐二〇
・電話/078・271・3711
◆プロフィル
一九六〇年大阪府生まれ。中学生のころから料理やお菓子に関心を持ちはじめる。七八年料理の道へ。大阪ターミナルホテル(現・ホテルグランヴィア大阪)「ムアー」を経て、フランス料理修業のため、渡仏。パリの「レ・セレブリテ」「フォージュロン」、ブルゴーニュ「ラ・コート・ドール」で修業。九二年神戸ベイシェラトンホテル&タワーズレストラン「ラ・コート・ドール」開業のため、日本人料理長として招かれる。阪神淡路大震災の影響で同店撤退後は、ホテルモントレ神戸・アマリー総料理長に。九九年神戸北野ホテルを再開すべく、H・Y・ホスピタリティ・エンタープライズ株式会社を設立、代表取締役に就任。翌年神戸北野ホテル運営を受託、総支配人兼総料理長に就任。企画運営全般を統括する。
リフレッシュのもとは、年に三、四回行くフランス旅行。「空気を吸うだけで体内の細胞が活性化するみたい。フランスは新しい気持ちにも、昔の気持ちにもなれる場所です」
◆私の愛用食材 ジェイ・エム チェルスラン「ミエル・ド・シャテーニュ」
実に珍しい食材、「栗の花のはちみつ」だ。
山口氏は神戸の「ラ・コート・ドール」時代から愛用、鴨の皮に塗るなど隠し味として使用している。
「神戸で使いはじめたころはまだ日本のどの店でも使ってなかったんじゃないかな。ほかのどのはちみつよりも濃厚で、味わいがあるのがいい」。味見させてもらうと、確かに濃厚。しかしそのあとに独特の味わいがふんわりと口の中を包み込んだ。
このはちみつ、実はホテルの朝食メニューのヨーグルトにも添えられている。「ヨーグルトとまぜて味わうことで、ヨーグルトのおいしさが引き立ちます」。パンなどに塗ってもおいしそうだ。ただし、濃度が濃いので、使いすぎには注意。価格は、びん入り一キログラム三五〇〇円。
◆問い合わせ先=イグレック・プリュス北野店(電話078・271・1909)