飲食トレンド:米国ダイエット事情 外食産業の攻防 アトキンス・ブームの行方
心臓病専門医のアトキンス博士の提唱した低炭水化物ダイエットとは、炭水化物の摂取を制限することによって、脂肪分解を誘導して減量するというダイエット法だ。このダイエットを実践するアメリカ人は、一時推定300万人を超え、一大ブームを引き起こした。やや下火になったとはいえ、アメリカ人の3分の1は、何らかの形で炭水化物をカットしているという。食品メーカーは低炭水化物製品を次々に売り出し、外食産業も、パンなしハンバーガーなど低炭水化物メニューを導入。「低炭水化物革命」とも呼ばれた大ブームを、消費者も産業界も一緒になって追いかけた。低炭水化物ダイエットを通して、アメリカの食産業とダイエット事情のかかわりを追ってみた。(外海君子)
◆食品メーカー・外食産業、こぞって製品・メニュー導入
話題のレストランが次々とオープンし、開発の進むマンハッタンのミート・パッキング地区。チェルシー・マーケットは、工場の跡地にできたグルメ食材の人気のマーケットだ。テナント店舗の一つ、「ルーシーズ」は、2年前から低炭水化物のスウィーツを提供している。
「私自身がアトキンス・ダイエットを実践してみて、有効だと実感したもんですから、ローカーボ(低炭水化物)デザートを提供することにしたんです」と、共同経営者の一人、パトリツッア・アレッツィさんは言う。
店頭にはアトキンス式ダイエットの看板が掲げられ、低炭水化物のチーズケーキ、ティラミス、レモンライム・ムースなどがガラス棚に並ぶ。すべてクラストなし。フィリングの材料である牛乳、クリーム、バター、チーズは、炭水化物でないので、ふんだんに使えるし、砂糖は甘味料で代用できる。
「確かに、高カロリーですが、でも、ローカーボです」とアレッツィさんは言う。
それにしても、ダイエットはほかにもいろいろありそうなものだが……。
「アトキンス・ダイエットは、煩雑なカロリー計算をしなくていいし、おなかいっぱい食べられるし、運動しなくていいし、短期間でやせられるという楽なダイエット法なので選んだんです」とアレッツィさんは言う。
◆危険性を指摘されながらも…
基本的に、減量は努力を要する。しかし、アトキンス式ダイエットでは、腹持ちのするステーキもベーコンも思う存分食べられる。「炭水化物さえ断てば、おなかいっぱい食べて見る見るうちにやせられる」といううたい文句にのって、問題を指摘されながらも、爆発的に大流行した。その火付け役となったのが、2003年春に「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」と「ハーバード・ヘルス・レター」が発表した、「低炭水化物ダイエットのほうが低脂肪ダイエットよりも、短期間で減量効果を発揮した」という研究結果だった。アメリカ心臓協会などから危険なダイエットとたたかれようと、その手軽さから、低炭水化物ダイエットは一気に広まっていった。
今や、成人人口の65%が体重オーバー、そして、3%が病的に肥満という「世界一の肥満国家」となったアメリカでは、減量に年間300億ドルが費やされている。胃の一部を切除したり縛ったりして容積を極端に小さくする胃のバイパス手術は、毎年10万件行われている。
「必要になったらバイパス手術をすればいい」と開き直って食べ続ける肥満のティーンエージャーがテレビの報道番組に出ていた。となると、胃のバイパス手術は、人によっては究極のダイエットといえるのかもしれない。アトキンス式ダイエットは、そこまで極端ではないながらも、楽をしながらやせられる手軽なダイエットとして人気を博したのだろう。
「ベーコンはいいけれど、糖分の多いリンゴは制限するというようなダイエットですから、体にはよくないでしょう。だから、常識を生かして、アトキンスでやせたらやめる。太ったらまたする、ということをすればいいんじゃないですか」とアレッツィさんは言っていた。
やせるためには、「わかっちゃいるけどやめられない」といったスタンスのようだ。
◆産業界、敏感に反応も
低炭水化物ダイエットの大流行には、食品メーカーや外食産業も敏感に対応した。スーパーへ行けば、パンやクッキー、パスタ、スナックといった、本来なら炭水化物製品であるはずのものでも、ローカーボ(低炭水化物)と名乗ったものが並んでいる。去年1年で、600種類もの低炭水化物の新製品が市場に現れたという。
チョコレートメーカーのラッセル・ストーバーは、無糖のチョコレート・キャンデー類を販売し始め、売上げを大幅に伸ばした。スナック菓子のメーカー、フリートー・レイも、大豆タンパクと植物繊維を使って、低炭水化物のチップスを展開し始めた。クラフトは、同じく、低炭水化物ダイエットで台頭したサウスビーチ・ダイエットに即した商品を展開している。
大手の外食チェーンも動きを見せた。バーガーキングでは、アメリカの国民食ともいえるハンバーガーをパンなしで売り出し、ハーディーズは、ハンバーガーをパンの代わりにレタスで巻いてしまった。
サンドイッチのサブウェイは、ごま粉でできたラップで巻いたローカーボのサンドイッチを提供、TGIフライデーズは、故アトキンス博士の設立した会社、アトキンス・ニュートリショナルズと組んで、お墨付きのローカーボメニューを並べている。アメリカン航空もまた、ローカーボメニューを展開。果てには、食前に飲めば、炭水化物の摂取を阻止するという錠剤も市販された。
しかし、一時は、衰えを知らない勢いを見せたこのダイエットブームも、不健康なダイエットとしてやり玉に挙げられ、今は沈静化の動きを見せている。
◆夢のようなブームの終焉
全米レストラン協会は、「2004年は、低炭水化物革命が外食産業を含むアメリカ社会を巻き込んでしまった」と述べているが、「今後は、個別のダイエットではなく、個々の好みに応じた、バランスの取れたヘルシーな選択のできる方向へと向かうだろう」と、今年初頭にすでに冷静な見通しを発表していた。
そして、ついに、アトキンス・ニュートリショナルズも、8月に入って破産法を申請、ブームも落ち着きを見せ始めた。それにしても、なぜ外食産業までもがこれほどまでに、低炭水化物ブームに踊らされたのだろうか?
アメリカ人は、食費の47%を外食費に使っている。家庭のキッチンが外へ出た今、外食産業は消費者に対し、ヘルシーな食事を提供する責任をも受け継いでいる。一連の肥満訴訟やトランス脂肪酸訴訟は、外食産業に対する消費者の期待の表れともいえるだろう。肥満の責任を問われていた外食産業にとっては、脂肪を排他しない低炭水化物ダイエットは、好都合なダイエットだった。低炭水化物ダイエットは、消費者にとっても、外食産業にとっても、夢のようなダイエットだったのだ。
アメリカの外食産業は、消費者の動きを見ながら、あるときは消費者と綱引きし、あるときは共謀しつつ、共に試行錯誤しながら「食のあり方」を探っているようにうかがえる。