シェフと60分 モランディ・奥村忠氏 イタリア料理に自信、姿勢は謙虚
「イタリア料理界はこれからおもしろくなる」と予測している。バブルの時に若い料理人がイタリアに勉強に出かけ、層が厚くなっているからだ。“イタメシブーム”に乗って専門店が雨後の竹の子のように急増したが、今、淘汰期を迎え、しっかりしたいい店だけが生き残る時代になっている。「腕の立つ料理人が力を発揮できる」というわけだ。
不況が長引き「影響がないといえばうそになる。しかし、バブルの時が異常だったんです。当時は高いものがよく売れ、料理に応わしくないような高級なフランスワインを注文するお客さんが多かったのです。いまは健全になって、料理にマッチしたイタリアワインがしっかりと注文されています。好景気で繁盛している時は原価率を上げてもやっていけますが、景気が悪くなった時に原価率を下げるとお客さんに見破られてしまうのです」。好不況に惑わされずに地についた仕事をしてきた自信があるから言える。
奥村さんの作るイタリア料理には里いもや春菊などの和食材が多く採用される。新鮮な魚を刺身風にアレンジしたりする。野菜類は有機栽培のものにこだわっている。「口に入れる食品だから体にいいものを使うのは当然。原価で折り合いがつけば良い材料を使うべきです」。神経質なぐらいに素材の質に心を配っている。肉は和牛の上物しか使わない。原価率は四〇%~四五%に設定している。
東京・麻布の「アルポルト」のオーナーシェフ、片岡譲さんから強い影響を受けた。イタリアで修業中に片岡さんにスカウトされて、「アルポルト」開店と同時に入店したのだが、本場の料理と片岡さんの作る料理との違いに驚く。「イタリアの料理は味つけは一般に濃く、しかもポーションは大きく、盛りつけは素朴なのです。ところが片岡さんの料理は素材の調理法も盛りつけも、フランス料理、日本料理の繊細さを取り入れているのです。それで開店当初の半年間はどぎまぎして、ずいぶん悩みました。一年ほど経過する中で片岡さんの料理観が理解できるようになり、こんどはおもしろくなって夢中になって取り組んだのです」。片岡さんとの出会いが大きなプラスになっていると振り返る。
「モランディ」にスカウトされて五年目を迎え、いまは「イタリア料理に新風を吹き込んだ片岡さん流は素晴らしい」と敬意を表わす一方「奥村流があってもよいと思う」という心境になっている。“こうあるべき”とワクをはめられるのを嫌う。「モランディ」ではランチもディナーもコース料理を基本にしている。客の要望に応じてチョイスメニューもやるが、カルトとしてはやらない。「食事には一つの流れがある。私の考えでは前菜四皿とパスタ料理一皿が理想的と判断しています。そして、コースだけれどもカルトのイメージを出すように盛りつけや皿のデザインなどいろいろコーディネートとしてインパクトが出るようにバランスに配慮しています」。
週に一、二度来店する常連客にはメニュー表を出さない。奥村さんのおまかせコース料理を堪能してもらう。「お客さんに何を食べてもらったか。毎日チェックしてリストを製作しておきます。それで同じ料理を出すことがないようにしています。ベジタリアンのお客さんにはそれに応わしい料理を、魚の嫌いな方にはまた違った料理を出さなければいけませんから」。「お客さんにアドバイスを受けながら、努力して、伸ばしていきたい。その意味で、お客さんに育ててもらっていると感じています」。腕に自信はあるが姿勢は謙虚だ。
プロとしてのこだわりはパスタの■で方にも発揮される。「アルポルト」時代から使い馴れている“ディ・チェコ”しか使わない。「ディ・チェコは麺自体に味があって他のイタリアパスタとはひと味違います。それが気に入っている」と説明する。その上で、同じ太さの麺を使って何種類かのコース料理を作る場合は■で時間をそれぞれ変える工夫をしている。「同じ硬さに■で上げた麺を何種類かのソースに分けて食べると、さいごに食べる時はやわらかく感じてしまうのです。さらに、火力、お湯の量によっても麺の味は変わります。パスタは、繊細なのですから、調理のしかたも繊細にしなければいけないのです。そのあたりの気配りをしないとおいしいパスタ料理はできません」。「モランディ」の席数は三八。「自分の料理をおいしい状態で提供するのに理想的な席数なのです。一〇〇席もある店だと細い麺は使えなくなってしまうのです。店内の設計、さらに食器の選定面で私の考えを十分に採用してもらってありがたく思っています」。料理人冥利に尽きるというべきだ。
奥村流イタリア料理の世界の構築をめざしているが、いま一度原点に帰ってみたいと説く。「イタリアの生活に根ざした地方料理をもう一度勉強したいのです。イタリア人が好きです。その国民性をもっと吸収して、イタリア人の生活に根ざした生きた料理をやらなければいけないのです。その料理をこの店で提供していきたいのです」と目を輝かせる。
文 冨田怜次
カメラ 岡安秀一
一九五二年岐阜県に生まれる。高校を卒業後、「ばく然と西洋料理をやりたい」と考えて名古屋の調理士専門学校に入る。卒業後、大阪のイタリア料理専門店に入店。その後、上京して都内の専門店に入るが本場の料理を勉強するため修業に渡る。二年半イタリアで修業したが、その修業中、片岡さんと出会い「アルポルト」開店のためにスカウトされる。同店で六年間勤めて、再度イタリアに勉強に渡り、そこで「モランディ」のオーナーにスカウトされる。