シェフと60分:ホテル・イースト21東京・総料理長・深沢邦男氏

1994.05.02 51号 9面

「喧嘩しながら作った料理はしょっぱくなってしまう。職場の雰囲気が悪ければいい味はつけられない」。持論である。

調理場の中で笑顔を絶やさない。家庭でのいやなことを職場に持ち込まない主義を貫いている。「たとえ家でカミさんと喧嘩をしても職場ではつねにニコニコしている。私が沈んでいたら環境が悪くなってしまい、チームワークが乱れてしまう」「自分自身に余裕をもつこと。家庭でも職場でも余裕をもっていないといい料理はできない」と説く。

チームワークがとれないといい料理ができないことを日頃、部下に言い聞かせているから、率先して笑顔を作る努力をしている。「ホテルの場合、とくにチームワークが大事で、料理長がしかめ面をしていたら、いくらいい素材を使ってもいい料理はできない。とくにフランス料理はチームワークが求められるのです。ひとりだけ腕のいい料理人がいてもだめなのです。ビュッフェのパーティーではメニューが三〇品にもおよびます。調理場の人間の調和があって初めて料理も調和するのです」

料理人として誇りをもつよう若い料理人を激励している。「長寿国になったのはわれわれ料理人が勉強して料理を作っているからなのです。だから、料理人はもっと誇りをもつように、と励ましています」。自身の体験も聞かせる。迎賓館のシェフ時代に、皇太子(現天皇)殿下をはじめ米レーガン大統領に料理を提供したこと、また米ホワイトハウスの内部に入れたことなど、料理人だから得られた“特典”を機会あるごとに話すようにしている。

「一般の人はホワイトハウスに入ることは不可能です。しかし、料理人になって研鑚を重ねれば、大統領執務室に入れるチャンスもあるのです。私の体験を若い料理人の励みにしてもらいたいのです」と。

調理場は和気あいあいだが、部下の教育は手抜きしない。ただ、休日が増えているので教育の密度を濃くしなければならず、ひと昔前と同じ過程をとることができない。

「一年のうち一二〇日も休暇があるのでたいへん。かつては鍋を洗いながら料理の味を盗んで覚えたものですが、今は鍋洗いをさせないで、ソースの味を早く覚えさせるようにしています。盗んで覚えさせるようなゆとりのある教育時間がとれなくなっている」。したがって上司の教育法が問われる。

「シェフを目指してこの世界に飛び込んでくる若者でも、器用な者ばかりではありません。だから、適材適所を見抜く上司の目が求められてくるのです」。

この点についていえば調理場の各セクションの責任者は深沢さんがスカウトしたベテランで腕利きの人材を揃えているので「心配ない」という。

深沢さん自身は昭和33年~43年の期間、帝国ホテルで働き「村上料理長にかわいがってもらい料理人になってよかった」と振り返る。

村上さんからフランス古典料理の基本を教えられ、それをもとにいま深沢流を構築している。「私の料理は帝国ホテルの流れを伝えていますが、都心のホテルと立地が違うので、地域に合うように工夫しています」。江東区なので肩苦しい料理は受けないと心得ている。といって手抜きはしない。「材料は都心のホテルに負けないものを使い、値段は安くする」工夫をしている。

深沢さんのアイデアでヒットさせたのが“グルメの会”のイベント。一人五万円の料金で企画、四〇名ほどの客数を計画したところ五四名も応募があり、大好評を得て「次回もやってもらいたい」とのリクエストも受けている。

この“グルメの会”は選りすぐった材料をふんだんに使ったフランス料理を提供したのだが、その提供のしかたが斬新だった。素材と調理法を客に選定してもらうというもので、厨房前に生トリュフ、フォアグラ、キャビアのほか新鮮な魚介類、特選神戸牛、ビジエなどを並べた。

そして、調理場の中に客を入れ、作っているところを見せたのである。サービスも豪華で、客四人にコック一人、ボーイ二人をつけた。「昭和35年頃に帝国ホテルで在日大使を招いて同じようなパーティーをやったことがありますが、現在ではこのような企画はどこのホテルもやっていません。通常はお客さんに厨房を見せるのを嫌うものですが、あえて“男の戦場”をみてもらったのです」。しかし「正直にいって五四名も応募があるとは思っていませんでした。不況のさなかということで、この五万円の企画に会社はなかなかOKをくれなかったのです」と打明ける。

深沢さんの人柄とサービス精神の真髄をみせた一大イベントで、ホテル界で注目を集めている。

文   冨田怜次

カメラ 岡安秀一

昭和12年、山梨県に生まれる。甲府第一高等学校卒業後、昭和30年上野精養軒に入社。33年帝国ホテルに入社、村上料理長の下でフランス料理の基本を身につける。その後、英国大使館、上高地帝国ホテルでさらに研鑽を重ね迎賓館のシェフとして迎えられる。迎賓館時代に、ブッシュ大統領、エリザベス女王、皇太子殿下に料理を提供する。平成3年に「ホテル・イースト21東京」の総料理長に迎えられる。現在、エスコフィエ協会会員で、トップブランシュ日本支部理事。料理界のリーダーとして活躍している。

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