シェフと60分:中国料理「酒膳房」オーナーシェフ・藤原次雄氏

1994.06.20 54号 9面

「同じお客さんが毎日来店されても飽きさせない料理を出さなければいけません」。

藤原さんのモットーである。ファミリーレストラン、ファストフードチェーンの画一的な味を嫌う。「どこの店で食べても同じようなファミリーレストランの味にしたくない」。ソースベースを工夫して他店との差別化を図っている。例えば、梅肉とミルクを合わせたり、カレー粉とトマトケチャップをブレンドしてバリエーションを広げている。上海料理の基本を崩さず“藤原流”を構築している。毎月一〇品のメニューを入れ替えているが、常連客は“おまかせ”メニューが多い。「そこらの店と同じじゃないか、と見られたくないから、おまかせ料理を受けると燃えます。そういうお客さんをだいじにしなければいけません」。

“旬”にもこだわる。「一般家庭の卓上にのぼる旬の素材を使っても意味がないのです。旬になる前のものを先取りして扱うのがプロ。かつては中華に旬はなかったのですが、今、お客さんは旬を待っているのです。中国野菜、上海ガニが代表です」。素材さがしに築地に足を運ぶ。築地に足を運ぶ中華のシェフがきわめて少ないことを嘆く。「仏、和のシェフとは築地でよく会いますが、中華のシェフとは会わない」と。

中国にまで食材さがしに出かける。中華の経営者一五人と研究会を作り、共同仕入れや販売方法のための情報交換を行うほど意欲的で、リーダー役を務めている。「国内の業者に仕入れをまかせっぱなしにしている時代は終わった」と言い切る。「日本に紹介されていない中国の食材はまだたくさんあります。そういう食材を使って本場の料理を日本人に食べてもらいたいという願いがあります。この気概を持っていないと料理人として続けていけない」と説く。

「しかし、中華の世界は奥が深いのです。なん十年やっても中国人にはかないません。すごい国だと思う。食材も料理法もまだ知らないことがたくさんあり、この先何回でも中国に行って勉強したい。私なんかまだ、二、三歩歩き始めた程度。それほど本場の中華は奥が深いのです」。

「しかし、本場の味を日本人が受け入れるかどうかとなると疑問。彼らの香辛料の使い方は半端じゃないから」と料理のむずかしさ、奥の深さを指摘する。

料理の腕前はすでに折り紙つきで“おまかせ”の常連客の味覚を堪能させているが、経営手腕も発揮している。外食店が軒並み売上げ減少に苦しんでいるなか、今年に入って増収を達成している。「借金を背負っているので命がけ」と笑うが、アイデア豊か。三年前から食べ放題のメニューバイキングを始めている。女性二八五〇円、男性三三〇〇円の料理にしたところこれが受けた。ある料理雑誌に紹介されたのをきっかけにマスコミ数社の取材を受けた。「埼玉県からわざわざ食べに来てくれるお客さんも」現われるほど人気店に。開店して一年目の時である。

そして、昨年10月からこんどは小皿のワンポーションのメニューを入れるとともに、店の前のカンバンメニューの単価を下げ、集客力を上げるのに成功した。ふつうだと高くて高級なメニューをカンバンに出して店のイメージを上げたくなるものだが、その逆をやったわけである。この写真入りのカンバンメニューはほとんど一〇〇〇円以下で、ラーメンは四〇〇円。

常に一歩先を読んでいる。「いまは不景気でバイキングや低価格化が時流になっていますが、ブームにずっと乗っていると、経営がおかしくなってしまうのです。その先を考えなければいけません」といい、自身にもテーマを課す。そのテーマは「料理については中華の基本を崩さずに、魚介類を低価格なメニューで提供すること」とし「うまければ売れるという時代ではないので、いかにお客を店に引きつけるかPR方法を考えています」と経営とのバランスを練っている。

「中華料理店もさまざまで、決して料理はうまくないのに若い女性で賑わっている店もあります。そんな店の料理に見るべきところはありませんが経営的に学ぶところがあります」。オーナーシェフとしてのバランス感覚をしっかりと持っている。

若い料理人の教育法も“藤原流”を貫いている。「まずあいさつのしかたを教える。ロクにあいさつができない者は何をやってもものにならない。それから、ふざける時と仕事とのけじめをつけさせる。二、三回続けて料理を失敗したら張り倒します。なぐるのも愛情で、彼らにそれが伝わります。わきあいあいの職場の中で育った者はカべにぶつかった時などに挫折してしまいます」と厳しい教育観を貫いている。

料理も経営も時節に流されまい、とする信念と感性を持ち続けている。「グルメブームに左右されない店にすること。本物を出し、しかもあまり高級店にせずにお客さんに喜んでもらうこと。チェーン展開してマニュアル化はしたくないけれど、経営面からあと二、三店舗は出したい。今の日本の税制ではそうしなければやっていけない」。

文   冨田玲次

カメラ 岡安秀一

昭和17年秋田県生まれ。一六人の大家族に育つ。中学卒業と同時に名古屋の超一流上海料理店「フラミンゴ」に入る。当時ラーメン一杯二〇~三〇円の時代、同店では四〇〇円、藤原さんの給料は二〇〇〇円程度だった。口ベらしの時代で、秋田では中華の店はなかった。フラミンゴに到着したその日に食べさせてくれたチャーハンと卵スープ、ザーサイに感激「世の中にこんなにうまいものがあるのか」。今もその味を忘れない。

昭和62年に独立「酒膳房」を開店、マスコミにも紹介されてたちまち人気店になる。経営のかたわら、新宿調理士学校の講師も勤める。「生徒六〇人のうち中華に興味をもっているのは二〇人程度。何とか半分ぐらいにもっていきたい」。(社)日本中国料理調理士会の常務理事として中華料理界を牽引している。

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