シェフと60分 ナイルレストラン社長G・M・ナイル氏 40数年変わらぬカレーの味

1992.06.15 6号 15面

昭和25年、東京が戦災で焼け野原となってしまい、その立て直しに必死となっていた復興期に現在のG・M・ナイル氏の父親であるA・M・ナイル氏が「日印親善は台所から…」という理念から、故郷南インド(ケララ州)の本格的な料理を手頃な値段で提供しようと開業されたのがナイルレストランである。以来、今年で43年目を迎えるが「手頃な値段でおいしいインド料理を食べてもらう」という考え方は、二代目であるG・M・ナイル氏に引き継がれている。

先代・ナイル氏は一昨年4月故郷に里帰り中に他界されたが日印友好親善に尽された功績は大きく、日本政府から勲三等瑞宝章が贈られているほどである。昭和3年に来日、京都大学に留学、インドの独立運動に参画し、以来、日印のために活躍しているが、この話は別の機会に譲ることにして、現在のナイルレストランの人気について探って見ることにする。

メニュー構成は、飲みものを別にして、スープから始まって約五〇種類ほど。そのうちチキンカレー、野菜カレー、マトンカレー、えびカレーなどカレー料理は六種類。平均した出方だという。名物料理は何といっても「ムルギーランチ」(消費税込みで一二〇〇円)。「このランチは、鳥のモモ肉を柔らかく煮込んだカレーとカレーで炒めた御飯、そして調理した野菜が一つの皿に盛り付けた先代ナイル氏考案の料理ですが、とにかく昼間のランチタイムには良く出ます」と語る。

これらすべての料理の味は、基本的には先代の味を基礎として守っている。とくにカレー料理六種類とムルギーランチは、最初からの味を守っていると言う。その他は、基本は変えないが「やっぱり前進した味作りをしていくのが私自身の仕事ですから。私の代になって一〇年以上になりますが確実に変わっている。それも非常においしく変わっているはずです」と自信たっぷりの話しっぷりである。

その味の演出は、どうやらスパイスによる遺伝の法則学にあるんだとナイル氏は言う。要するに基礎的な話で「おたくは何種類のスパイスを使うんですか」「うちは一〇種類も使えば十分ですよ」「そうですか。少ないですね」という会話。そして、私は、他の専門店でスパイスを三〇種類だの、四〇種類使うと言われるが、うそだと思うとキッパリと切り捨てる。ナイル氏に言わせるとスパイスは一〇種類もあれば、掛け合せというか、遺伝の法則に従って混合していけば、ほとんど無限のミックススパイスが出来るというわけだ。スパイスの一番良い使い方は、いかにしてうまく混合を続けるかということですよとも付け加える。

ナイルレストランの味づくりは基本になるスパイスが最低一〇種類あれば十分だという。カレー料理の基礎はもちろん、先代が作りあげた「インデラカレー」それに「インデラ・マサラ」。両方ともかなりの量を使っている。それも普通のカレー専門店の一カ月分の使用量に比べ何倍も多い量のカレー粉とマサラにプラスして先程の遺伝学的なミックススパイスが加わりますから旨みのある味が出来るのだという。しかも、それらの組み合わせの味、そして料理は、すべてオーナーが舌で知っていなくてはいけない。「私なんかは三六五日、毎日自分の店の料理を三品は試食します。売っている料理がおいしいか、まずいかもわからずにいる経営者が最近多くなったんじゃないかなァ」と指摘する。

カレー料理は、カレー粉がベースになって、いろいろなスパイスが入って特徴のあるものになる。そのスパイスの一つが、ほんのちょっと多いか少ないかによって、要するに手先き、指先きのことで味がガラッと変わってくる。だから経営者は、従業員まかせの調理でなく、自分自身が料理に精通しなければと強調する。どうやらそれが人気を得るための秘策のようであった。

文 ・服部 博

写 真・岡安秀一

1944年、疎開先の茨城県で生まれ、東京で育つ。学生時代から、先代(父)のレストランを手伝う。1970年、大阪の万博ではインド政府直営のレストランに勤務し腕をふるう。

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