人物往来 全日本司厨士協会・藤咲信次会長 米国にもあったテリ焼き

1992.06.15 6号 20面

《 == == 米国にもあったテリ焼》 ハワイを経てアメリカ大陸へ向った。そして、ロサンゼルスへ行って初めてディズニーランドを楽しんだ。この時、私は“アメリカにはスゴイものがあるな‐!”と驚いたものだった。

サンフランシスコへ行った時のことだった。そこには私の知り合いの日系の方がいたので、その人を訪ねた。そして、レストランを回った。その時驚いたのは、「テリ焼き」という言葉が既にアメリカで使われていたことだった。ハンバーガーの専門店「ヒッポー:「河馬」という意)があって、そこではハンバーグだけを売っていたが、そのハンバーグの中に「テリ焼きバーガー」というのがあった。照り焼きがここまで広まっていたのには全く驚いた。

サンフランシスコには、ハンバーグのほかにバイキング風のローストビーフを出しているレストランや、いろいろと嗜好の変ったレストランが数多くあった。私はこれらのレストランを試し食いして歩いたものだった。

《 == == 噛めない一㌦ステーキ》 私は続いてシカゴへ行った。シカゴにはバラエティに富んだ数多くのレストランがあった。高級なステーキを食べさせる店、大変安いパブリックなステーキを食べさせる店などを食べ歩いた。ある時、道を歩いていたら、大勢の人達が並んでいるので、なんだろうと思って近づいてみると、歩道側から一㌦ステーキを焼いているところが見えた。安いなァ!と思い、一度経験のためにと列の後に並んで入ってみた。しかし、このステーキは硬くて噛めたものではなかった。

それからニューヨークへ行った。世界の一大都市ニューヨークには、現在の紅花の社長をやっておられるロッキー氏が留学していた。私は彼の住んでいるアパートを訪ねた。

当時のニューヨークは今日のような近代的な店は少なく、昔風なマーケットであり、魚も肉も専門店で売っていた。私は、そういった肉の専門店でロースの塊を買ってロッキー氏のアパートで料理してみたが、結構柔かだった。アメリカの肉もランクによっては使えるものがあった。

《 == == レストラン出店を決意》 その後、私はニューヨークの高級・中級レストランを食べ歩いたが、その時私は、アメリカで日本式な牛肉料理を売っても商売になるという確信を得た。というのは、アメリカ人に一番多く食べられているのが牛肉であり、二番目に多いのは、数量的には大部落ちて鶏肉、次がさらに数量的には落ちるが豚肉、羊肉であった。海産物でみると、海老類なら大体食べる。海岸地帯へ行くと、一年中ある蛤は生で食べているといった具合で、私は大体のアメリカ人の好みの傾向を理解した。

私はレストランのアメリカ出店についていろいろと考えた。アメリカでレストランを開業するとしたら日本的な料理でなければならない。しかし私は日本料理の専門家ではない。今日まで洋食一筋に生きてきた私としては、牛肉を主体としたレストランを作らなければならない。そうなると、ステーキ専門のレストランであると決め、具体策を考えつつ帰国した。

当時、アメリカへレストランを出店するということは大変なことであった。しかも、アメリカ人の好きなビーフステーキの店をアメリカにない調理法でやらなければならない。

帰国してから、日本国中のステーキ専門レストランを食べ歩き、その味を確認しつつ、一方では独自の味付けを研究したものだった。

(おわり)

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