地域ルポ 月島(東京・中央区)東京ウオーターフロントの最前線
月島といえば“もんじゃ焼き”をイメージする。この街は東京湾に面しており隅田川の河口に浮かぶ人工の島である。東側には朝潮運河を挟んで晴海、西側の対岸は築地で、四方を海が囲む。街は月島(一~四丁目)と佃(一~三丁目)の二つのエリアで構成されるが、佃大橋通りを挟んでそれぞれに別個のコミュニティを形成している。
月島は世帯数一万六〇〇〇、人口三万五〇〇〇人。小さな街だが、かつては造船、倉庫の街、海運の街として栄えた地域でもある。しかし、六年前までは“陸の孤島”と形容されていたところで、交通アクセスには恵まれなかった。それが地下鉄(有楽町線)が開通してからは、東京ウォーターフロント計画もあって水辺の街として見直され、今新たに住施設や店舗が集積するようになってきた。可能性を秘めた月島。街はコンパクトだが、東京でもエキサイティングな街ということだ。
前記のとおり、月島は隅田川河口の中州を浚渫した土砂で埋立て造り上げた人工の島で、明治25年(一八九二年)から同29年(一八九六年)にかけて、一号地(月島一~四丁目、佃一~二丁目)、二号地(勝どき一~五丁目)、新佃島(佃三丁目)が完成している。
現在のこれらウォーターフロントの人工島は、佃・月島、勝どき、豊海町、晴海の四つのブロックから成っており、東京でも有数の水辺都市としての位置づけにある。
地下鉄有楽町線月島駅のホームから地上に出る。四ヵ所の出口があるが、七番出口の月島一丁目方面に出る。佃大橋通りに面した出口だが、このエリアが月島の表玄関という位置づけだ。
というのは、月島地域の唯一の商店街である「西仲通り商店街」の入口に面しているからだ。この商店街を通り抜ける前に、まず周辺を歩いてみる。
商店街の入口前の小さな通りを西側に歩く。通りのすぐ左手に三階建の中央区立月島スポーツセンターが立地している。
その前を通って前進すると南北方向に伸びる西河岸通りだ。このブロックは西側に隅田川が隣接しており、倉庫が多く建ち並ぶところでもある。
しかし、これら倉庫は廃業して店舗や事務所、スタジオなどに変身しつつあり、エキサイティングな状況を呈してきているという印象だ。
この代表的なものが、朝日倉庫だ。この倉庫は三階建だが、一階に店舗と事務所、二階はテナント募集中だが、三階にはスタジオが入居するというフロア構成で、新たなビジネスチャンスを喚起している。
一階の店舗は飲食店舗「スペインクラブ」で、この9月9日にオープンしたニューフェースだ。店舗面積一五〇坪、客席数一五〇席。「カフェグレコ」をチェーン展開しているフイルコ(株)(本社=東京・中央区、高柳陽一社長)の経営で、店名のとおり、徹底してスペインにこだわっている。
料理はスペイン風生ハム、スペインオムレツ、エビのスペイン風鉄板焼、牛胃袋の煮込みマドリッド風などといった小皿料理(四〇〇~九〇〇円)とスペイン産ワイン。
このほか、スペインの生活雑貨、食器、絵皿、布地、アクセサリーといった物販もおこなっている。
内装インテリアも家具、調度品もすべてスペインにこだわった店づくりだが、連日の賑わいをみせている。
西仲通り商店街は、一~四番街(月島一丁目、三丁目)の四ブロックにおよんでおり、南西方向にストレートに伸びている。
前記の地下鉄の出入口前の商店街を行く。もちろん、商店街のヘッドの一番街で、前方に向って二、三、四番街と続く。道幅一〇m、全長四〇〇mくらい。下町の商店街にしては車道も歩道もカラー舗装化されていてシャレている。それにアーケードになっており、雨の日でも、夏の陽ざしの暑いときでも、快適にショッピングができる環境だ。
この商店街は、海運業や工場労働者たちが住みだした明治末期に出発し、大正初期には露天商や映画館、寄席などが軒を並べていたという。
そして、昭和10年ごろまでは大変な賑わいをみせていたのだという。
アーケードを設けたのは昭和35年で、このときに歩車道を区分した。その後アーケードも老朽化したので、六年前の地下鉄の開通に呼応して、今のモダンな形のアーケードにリニューアルした。
「町自体としては歴史のある古いまちなんですが、商店街は明るく、快適な環境でなくては取り残されていくことになります。現に50年半ばからそういう状況になってきたので、商店街の生き残りをかけて、いろいろ勉強したり、各方面に働きかけまして、現在の形に完成したのです」(月島西仲共栄会商店街振興組合・理事長寺本政美氏)